引きこもりにも読書の世界は無限に開かれているのだ

当ブログの主旨は、決して「引きこもりを脱出しよう」などというものではない。別に引きこもっていてもいいし、どうしようと自分の勝手だから放っておいてほしい、というスタンスである。それはひとえに、僕自身が外に出るのが辛いからだ。

ただ、家にいてゲームだけをやっている、アニメだけを見ているというのでは生産性がなさすぎるし、進歩というものがない。そこで何とかしてお金を稼ぎ、勉強して自己を高め、周りからとやかく言われない生き方を見つけよう、というのがテーマなのである。

 

そこで、話は読書のことになる。

ネット社会が発達したおかげで、家に居ながらにして欲しい本を買うことができる。これは少し前までは考えられなかったことで、このことによって引きこもりであっても好きなだけ勉強できるようになった。

好きな本を適当に読むのもいいのだが、ある程度体系的に読書することによって、学歴がなくても大学の教養課程程度のレベルまで学力を高めることはできるようになったのだ。これは凄いことである。

学歴はどうでもいいと言えばどうでもいいのだが、ひとつの基準として、当ブログでは有名私大合格レベルの学力を目標に置いている。というわけで、国語・英語・社会(日本史と世界史)にターゲットをしぼって話を進めていくつもりだ。もちろん数学でもいいのだが(数学Ⅰは個人的に好きな科目である)、一応は文系ということでご了承ねがいたい。

 

まず自分のことから語ることにする。

僕は物心つくかつかないかという頃から読書の虫で、あだなは「本キチガイ」だった。幼稚園の時に、従姉にもらった小学館の学習雑誌(それも高学年のやつ)を愛読していたのだから呆れてしまう。まだ漢字はよく読めなかったと思うのだが。

母に言われてお使いに行ったところ、店先に古い雑誌(ぼくらマガジンだったと思う)の束が捨ててあるのを見かけ、その場に座り込んで暗くなるまで読んでいたことがある。これは、その店のおやじが後々まで一つ話のように語っていた。要するに、本好きで町内でも有名な子供であった。

 

ところで、僕は学校ではずっといじめに遭っていたのである。

地方の町の公立学校であり、小学校と中学校はそのままエレベーターのように進学することになっていた。つまり生徒の顔ぶれは同じなので、いじめはそのまま継続することになった。

僕が本キチガイであることは誰でも知っているので、町内の子供たちの間では「読書=悪の象徴」なのだった。本を読んでいると僕と同類だと思われていじめに遭うので、その危険を避けるため、おのおのが「自分は本を読まない人間である」と必死のアピールをする。僕はそいつらの馬鹿さ加減が本当に嫌いだった。

夏休みの読書感想文がまた傑作である。原稿用紙五枚が課題だとすると、クラス全員がそのうちの四枚を費やして、「私は本を読まない。本を読むと性格が悪くなるからだ」という主張を延々語っているのだ。これが中学校三年生の脳味噌レベルなのだからどうしようもない。

 

一方、僕の方は中学生になると本キチガイがますます加速して、自分でも訳の分からない世界に突入していったのである。

長くなるので、今日はこの辺で。

 

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