いじめに遭っていた頃、読書だけが僕の世界だった

前の記事にも多少書いているが、中学校までずっといじめに遭っていたのである。

とにかく学校には居場所がなかった。下手をすれば机や椅子も隠されてしまうので、教室にもいられない。保健室登校というのが話題になりはじめていた時期だけど、僕がベッドに寝たらバイキンがつくので、入室させてももらえなかった。

そこで、結局は図書室にいるしかなくなったのだが、休み時間などにはいじめグループ(それはクラス全員なのだが)の偵察員が来ていて、僕が本棚に戻した本のカバーを別のものと付け替えてしまう。だから、一回読んだ本はもう二度とどこへ行ったかわからなくなるのだった。

 

さて、僕は物心ついた頃からSFマニアで、小学生の頃は国内作家のジュヴナイルを読んでいたが、中学になるといじめがひどくなったので、学校が舞台であるジュヴナイルは見るのも嫌になってしまった。それ以来、翻訳もの一辺倒ということになった。ちょうど早川から古典的な名作SFがどんどん文庫化されている時期で、主な名作SFはその頃にほとんど読んだような気がする。

今はどうだか知らないけど、当時の中高生には星新一が人気だった。僕は星新一作品は小6くらいで読んでしまい、やはり人気の高かった北杜夫や遠藤周作のエッセイ集を読みはじめて、それから小説作品に移行した。その影響から吉行淳之介、安岡章太郎の作品に出会い、当時の現代小説にのめり込んでいった。五木寛之の「青春の門」が大変な人気を呼んでいた頃で、映画を見たあとマクドナルドでプログラムを持っていたら、店員から「青春の門見たの?どこでやってるの?」と聞かれてびっくりした記憶がある。

それから司馬遼太郎にはまった。ちょうど「坂の上の雲」が文庫化された頃で、父が全巻買ってきて「これは凄いぞ」と言っていた。何が凄いのか半信半疑だったが、あまりの面白さに引っくり返って司馬作品に傾倒し、「国盗り物語」「新史太閤記」「関ヶ原」「竜馬がゆく」などをほとんどヤケクソみたいに徹夜で読みつづけた。

 

読書こそが僕の居場所であって、現実世界は馬鹿どもが横行するゴミためのようなものだった。三者面談の時に母親が「うちの子は本ばかり読んで困ります。どうやったら読まなくなるでしょうか」と教師に相談していたほどである。

この無茶な読書量のために読解力の針が振り切れたのだろう。国語の試験で百点を取るようになったのである。「数学や英語なら分かるが、国語で百点を取るやつは珍しい」と教師に呆れられるほどだった。高校になると国語教師がひねくれているので、必死で何点か減点されるのだが、それでも現代国語はずっと97点か98点くらいだった。古文・漢文も幼稚すぎて退屈で寝てばかりいた。

さらに、SF好きが高じて原書を読むようになり、僕のキチガイ読書はさらにエスカレートしていったのである。

 

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