ひきこもりが勉強をして何の意味があるのかという話

僕は子供の頃から成績がよかったので、周囲からはガリ勉と言われて、性格の悪い人間の代表として扱われていた。それが拡大して激烈ないじめに発展していったのである。ところが、当の僕自身は大学に入るまで(というか大学をやめるまで)試験勉強というものをまともにやったことがなかったのだ。だから、試験の点数を意識したことは全くないし、人並みな努力というものもしたことがなかった。まあ、怠け者でいいかげんな人間であったことは否定できない。

変な話だが、大学を中退してから勉強の必要性を知り、毎日少しずつ努力するということを知って、本当の「ガリ勉」になったのである。人が変わった、あるいは大人になったということかも知れない。

 

ところで、当サイトではお金儲けと勉強を二大テーマと考えている。お金を稼いで知性を身につければ、たとえニートやひきこもりであっても、社会ででかい面をしていられるだろう、というのが根本的な姿勢なのである。

そこでですなー、いざ勉強の話をしようとすると、周囲の普通の人たち(?)と会話が成立しないことが少なくないのだ。ようするに、知性を身につけようと主張しても、「大学で習った知識に何の意味があるの? 何の役に立つの?」などと言われてしまう。僕が文学部出身の歴史好きだから、なおさらその傾向が強い。法学部や経済学部ならいいが、文学部は社会では全く役に立たない、なんてことを親からも言われる始末なのだ。

こういうことを言う人たちは、学問とか知性とかいったことを理解していないのだ。大学を職業訓練学校かなにかだと勘違いしている。大学で学んだことが何の役に立つか、といえば何の役にも立ちはしない。ただ、教養を身につけることで高いレベルの境地に達することを目指しているのだ、としか言いようがないのである。それが腹の足しにならないからくだらない、と言われればそれまでのことなのだ。

 

しかし、そんなことを言い出せば、人間のやることは全部意味がない、という極論になってしまう。ざっくり言うなら飯を食うこととセックスすること以外は全部無意味だろう。お金にしても実体はただの紙きれであって、それ自体が何かの役に立つわけではない。価値があるという意味を付加することで、ようやく世の中に流通しているにすぎない。

つまり、自分にとって何が大切かという、その価値観を見きわめることに全てはかかっているのだ。教養を身につけること、毎日努力すること、本を読むこと、それが大事だと感じることが出発点なのである。腹の足しにならないからやらない、というのでは犬や猫と変わりがないではないか。……と言いつつ、今日もまた「役に立たん本ばかり読むな」と親から怒られてばかりなんだけどね。

 

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