王貞治・沢村栄治 名選手の記録と記憶

先日の巨人戦の中継に王貞治が出ていて、756号の映像を流していた。あれは昭和52年(1977年)のことであって、僕はラジオで聴いていたと思う。

王貞治自身が「打ったあとバンザイをするのは珍しい」と言っていたが、その前年に後楽園でベーブ・ルースを破る715号を打ったとき、打球がポールを直撃した瞬間に両手を上げてジャンプした姿の方が印象的だったのである。実は、回顧番組やアニメで引用されるのは、この際の動作であることが多い。

僕は熱狂的というかキチガイの域にある昭和の巨人ファンなので、600号あたり以降の節目のホームランはだいたい生放送で見ていて覚えている。715号の時の山本和行、756号の鈴木康二朗は一流投手だが、700号の鵜沢、800号の大川(いずれも大洋)などは、ほぼこの1シーンだけで記録と記憶に残ってしまったようだ。

 

ところで、この王貞治の出演について、ネット上ではくだらん書き込みが相次いでいた。ようするに「昔の球場は狭かったからホームランが打てた」「昔の野球はレベルが低かった。そんなのは記録に値しない」といったことをほざく馬鹿が多かったのである。僕はこういう知ったふうなことをぬかすゆとりガキが大嫌いである。

球場が狭かったというのなら、他の選手に比べて王貞治の数字だけが突出しているのはどういうわけなのか。昔の野球のレベルが低かったと主張するのならば、現在の野球も数十年後の世界からみればレベルが低いということになろう。ということは、現在の選手の記録も語る価値がないものになりはしないだろうか。

およそスポーツというものは、その同時代に抜きん出ているという事実が全てであって、過去と現在を単純に比較しても何の意味もない。過去の記録をふまえた上に、現在があるのだ。大鵬の優勝32回という大記録があったからこそ、白鵬はそれを抜くことができたのである。

 

プロ野球の黎明期に沢村栄治という投手がいた。ゆとりのガキどもは「沢村といってもどうせ140キロそこそこしか出てなかった。今だと平凡な投手にすぎない」などとぬかすのだが、その時代に沢村が最も抜きん出て速かったという事実を完全に見落としているのだ。つまり、150という数字が連発される現代において、170とか180とかいった快速球を投げるほどのインパクトがあったということだ。(もっとも、僕は今のスピードガンの数値は水増しがひどいと思っているので、信用してないのだが)

例えば、100メートル走は100年かかって5%くらいしか記録が伸びていない。と考えると、18.44メートルのボール投げという単純な行為で、20年やそこいらで10%以上平均球速が速くなるのは奇妙なことだ。各時代における最速は、実はそれほどの違いがないのかも知れない。

沢村より少し後輩の別所、中尾といった人たちが、昭和30年代まで快速球で鳴らして大記録を樹立したことは、誰も否定できないことである。とすれば、彼らにとって神様みたいな存在の沢村は、やはりメチャクチャに速かったのではないだろうか。そういうこと以前に、元祖プロ野球である沢村栄治に敬意を払わないやつが、どういう気持ちで今のプロ野球を見ているのか、理解できないというのが率直な気持ちである。

 

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