なぜか今さらWindows XPを入れてみるのだ

三年前に中古PCを購入した。Core2Duo、E7500のWindows7モデルである。5、6年前のビジネスマシンだから古いといえば古いんだが、普通の作業に困ることはないし、ちょっとしたグラボをつけると「スカイリム」もそこそこ動くので、ゲーム機としても重宝していたのである。

それが買ってから丸三年の日を境にWindowsがぶっこわれ、修復インストールも不可能でどうしようもなくなった。最初に作ったバックアップイメージを入れて三年前の状態に戻したのだが、これもまったく不安定で、問答無用でシャットダウンしてしまう。メカ的な故障かとも思うんだけど、Linuxで起動してみるとそれらしい兆候はないのだ。Windowsが三年で壊れるという時限爆弾でも仕掛けられていたのかも知れない。

 

てなわけで、現在は十数年前に自作したペンティアム4マシンで、ちまちまとブログを更新したりしている。作った当時は最先端に近いマシンだったんだけどね、最近の重いサイトには全く動作が追いつかなくて困ってしまう。

ダメになったマシンの方はLinuxで動かしてもいいし、いっそ廃物にしちゃってもいいんだが、このまま捨て去るのもしゃくなので、ダメもとでWindows XPを入れて遊んでみることにした。サポートが切れているとか時代遅れだとか言われそうだが、間違って動いてくれればスタンドアロンでゲーム機として使うのもありだと思うんで。

 

さっそく、十年以上前に買ったXPをインストールしてみた。といっても、インストールしたからすぐ動くというものでもないのがPCであって、問題はドライバ。もともとWindows7マシンなので、当然ながらXP用のドライバなんて持ってない。これはNECのサイトを探せば見つかった。ところが僕の持っているXPはサービスパック2なので、このままではドライバがインストールできないのだ。マイクロソフトのサイトを見ても、期限の切れたXPのサービスパック3は置いてない!

そんなこんなで、ドライバとサービスパック3を探してしばらく右往左往してしまったのだが、昨日ようやくインストールが完了した。果たして認証が通るかな?と危惧していたんだが、さすがに十年以上前に使ったきりのXPなので、あっさり通ったのはちょっと拍子抜け。これが通らなければ三十日後には使えなくなるところだから、まずは関門を突破したというところだ。

あと、問題は標準ブラウザがIE6なので、これはもはや使いものにならないようだ。今のところ、ネットサイトを見ることができない。他のPCでfirefoxを落としてきて入れるのが最善の道だろう。それでネットサーフィンとかできるようになればよし。しかし、いろいろインストールしているうちに、再び不安定になるかも知れないので予断を許さないところだ。といっても一度は廃物を覚悟したマシンなので、ダメもとの軽いノリでやればいいかな。

 

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アダルトアフィリエイトで簡単に100アクセスを突破する方法

ブログアフィリエイトをはじめた頃、というのは十年近く前のことだが、僕の悩みはアクセスが全然集まらないことだった。

これは多くの人が抱えている悩みだと思う。おそらく大部分のアフィリエイト初心者が、一日100アクセス(ユニーク)を集めることもできずに挫折してしまうのではないか。僕の場合、アダルト系のブログをやっているにもかかわらず、一年やっても20人とか30人くらいしか閲覧者がない。アダルトだと数千から数万のアクセスを集めないと話が始まらないので、これは論外である。

それでも何年かやっていればファンもついてくるのだろうが、そう悠長なことは言っていられない。最初の頃は、アクセストレードということも知らなかったし、相互リンクを申し込むのもひと苦労という状態だった。頭がおかしくなっていたので、ネット上でも他人と接するのが非常に辛かったのだ。

 

ここまでは前置きである。実を言えば、アダルトブログで数百単位の閲覧者を集めることは、それほど難しくない。相互リンクの申し込みができなくても、メールを送れなくても、関係なしに達成できる。数百では少ないという声があるかも知れないが、なにごとも段階を踏むことが大事。というわけで、アダルトブログ開設から最短で、弱小サイトを中堅サイトに押し上げる方法を教えよう。

といってもやることは非常に単純で、アダルトブログランキングを見て、アクセスランキングを設置しているサイトを見つけ、勝手にリンクするだけでいい。ただそれだけ。

そして、こちらから毎日1リンク、自作自演でクリックするのだ。すると一週間で7アクセスを送ることができる。これはちょっとしたアクセス数であるから、相手がマメな管理人なら、黙っていても普通に相互リンクしてくれる。してくれなければ諦めてリンクを外し、また他のサイトを探せばよい。こうやっていろんなサイトに自作自演アクセスを送っているうちに、自然に相互リンクが増えて一日に100から200くらいのアクセスを得ることができるようになる。

 

もっとも、これは自作自演だから物理的に限界がある。僕の経験では200から300くらいが限度であり、それ以上はクリックのしすぎで手が痛くなるし、時間がかかりすぎるので無理。でも300ユニークくらいを維持していけば、しだいに本当のファンも増えてきて、やがて自作自演の必要もなくなるだろう。

勘違いしてはいけないのだが、アクセストレードで得られる訪問者はあくまで「薄いアクセス」であり、積極的にサイトを見にきているわけではない。初期段階では露出を多くして集客ルートを確保することが大事、ということを言いたいのである。本来やるべきことは、コンテンツを充実させて真のファンを増やすこと。これを忘れては、いくらアクセス数だけ稼いでも成果を上げることはできないのである。

 

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中学でいじめに遭っていて読書以外に居場所がなかった

中学校ではいじめに遭っていて、どこにも居場所がないのが困りものであった。

登校しても机や椅子はどこかに隠されている。まあたいていは校舎裏の溝に投げ込まれていて、それを見つけて洗っているうちに二時間目くらいになってしまう。保健室へ行こうにも、僕の姿を見ると教師が鍵をかけてしまうので入れない。それで図書室にいるようになったのだが、そのうちに本がバイキンで汚染されるというので全校的に問題になり、僕に限って入室禁止ということになった。ようするに、どこにいてもいけないのだ。

結局、現実世界に僕の居場所はないのだということを理解した。それで読書の世界にのみ生きることになったのだが、おかげで読解力の針が振り切れて国語のテストでは百点を取るようになり、高校生になると全国模試で上位に入るくらいになったのだから、何が幸いするか分からないものだ。(さらに、そのためにくだらん大学に入ることになって苦労したのも事実だが)

 

小学生の頃から(実は幼稚園から)SFファンで、国内ジュヴナイルに熱を上げていた。好きだったのは眉村卓光瀬龍である。この二人は数あるSF作家の中でも、少年少女の描写がうまいことでは双璧である。

眉村卓の「ねらわれた学園」「なぞの転校生」は名作として知られているが、僕が好きだったのは黄色い背表紙の秋元文庫から出た「天才はつくられる」と「地獄の才能」だった。光瀬龍のジュヴナイルも名作ぞろいで枚挙に暇がない。「夕ばえ作戦」の爽快さにはいつも心を慰められていた。当サイトでしばしば言及している大岡山の学生下宿云々は、まさにこの作品の舞台となった町である。今なお一番好きなのは「明日への追跡」で、美少女たちの鮮やかさに光瀬龍のうまさが出ている。

こうした国内ジュヴナイルは全て中学校が舞台になっていて、僕はいじめに遭っているうちに、読むのがいやになってしまった。そのうちに中学校という字を見るだけで吐き気がするようになり、完全に翻訳SFにシフトしてしまったのである。おかげで原書から英語にのめりこむようになったわけだが(こればっかりだな)。

 

本格的に小説を読みはじめたのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」あたりがきっかけだったと思う。「国盗り物語」「新史太閤記」も面白かった。吉川英治の「宮本武蔵」や「新書太閤記」も小6か中1で読んでいる。

だが歴史ものではむしろ、井上靖の「天平の甍」「敦煌」「風林火山」の印象が非常に強いのだ。確か中学校の体育館で「天平の甍」と「風林火山」の映画を上映して、暗いのをいいことに全校生徒から嫌がらせの限りを尽くされたので記憶に残っている。だから唾棄すべき映画だと思っていたのだが、最近になってBS放送で見直すと名作だったのでびっくりしてしまった。

井上靖の作品では自伝的作品「しろばんば」と「夏草冬濤」が読書感想文の定番となっているようで、クラスの馬鹿連中もよく感想文を書いていた。ところが、僕が本キチガイなのは誰でも知っているので、うちの中学では僕の逆、つまり本を読まないことが正義なのだった。読書感想文の宿題では、原稿用紙五枚のうち四枚を費やして、自分がいかに本を読まない正義の人間であるかを自慢しあうのがテンプレになっており、馬鹿さかげんもここに極まれりという感じがした。

そんなことはともかく、僕は「しろばんば」「夏草冬濤」よりも、そのさらに続編の「北の海」が好きだった。勉強しないで柔道ばかりやっている旧制中学生(浪人生)の話で、のんきで豪放磊落な雰囲気が、自分の学校生活とあまりにかけ離れているので強く印象に残ったのだった。

 




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ベータビデオをPCに取り込んでデジタル化保存

僕が購入した二代目のビデオデッキは、ソニーのSL-F100という機種で、一応ハイバンド・ベータハイファイなんだが普及型と言われる安いタイプだった。それを荏原中延の古道具屋で1万円で買った。

ところが、僕の外見が子供みたいに見えるために、古道具屋のおっさんが「これはベータという昔の機械で、今は使えないんだよ、坊や」などと言ってなかなか売ってくれない。押し問答の末にやっと買って帰った矢先、電源がいかれていることが判明したのだが、幸いにしてやや新しい機種だったのでソニーに部品があるそうで、8千円くらいで消耗品をひととおり取り替えることができた。このデッキは十数年経った現在でも動いているから偉いものだ。

 

こうしてベータのデッキは確保したものの、このままではいずれ貴重なテープが視聴不可になることは目に見えている。僕が保存したかったのは主に80年代に録画した、洋画劇場(吹き替え洋画)と全日を中心にしたプロレスの映像だった。

ちょうどその頃、PCの性能が現在と遜色ないくらいにまでアップしてきて、ネットの発達とともにストリーミング動画が出回りはじめていた。これだな!と思った僕は、映像をデジタル保存するためにパワーのあるPCを自作することにした。といっても当時のことだから、最も強力なマシンといってもペンティアム4である。マザーボードとCPUだけ最先端のものにして、あとは適当に安い部品を集めてマシンを組んだのだが、目玉となったのはアイオー・データのビデオキャプチャボードである。動画を取り込むなんてのは、今と比べるとまだまだ特殊な趣味だった。ビデオキャプチャのできるPCというのは、かなり画期的だったと思う。

 

当時としては最高に近いパワーがあったとはいえ、ペンティアム4だから能力には限りがある。あんまり画質を追及すると時間がかかりすぎてしまう。そもそも元画像がたいしたことないのだから、そんなに凝っても意味ないしね。というわけで、MPEG-1で録画したものをDivXで圧縮して、320×240で保存するのが基本的なフォーマットだった。映像に凝る連中には笑われるかも知れないが、PCで拡大表示して見るぶんには何の不便も感じない。これをDVD-Rに焼けば、かなり経済的に保存できる。

なお、最初はDivXが画質的に独走していたが、途中からはXvidの方がよくなってきたので乗り換えて、現在でも僕はXvidのファンである。どうもDivXは商売っ気を出したあたりから没落が始まったような気がする。現在、画質が一番いいのはMPEG4なのだが、エンコードに時間がかかりすぎるのと、AVIファイルに比べて編集がしにくいのがネックになっている。

 




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昭和の青春 学生下宿になぜか二十年住んでいた話

春といえば進学の季節で、この時期になると上京して大学に入ったときのことを思い出す。入っただけで出なかったというか、出ちゃったというか、あまり記憶もさだかでないのだが。僕は中年のいい齢したおっさんになっているのに、大学1年あたりで体内時計が止まってしまっている。ここ何十年かはひとまとめにして「最近の出来事」というフォルダーに投げ込まれているようだ。

大学に入ったとき、僕が住むことになったのはいわゆる昔ながらの学生下宿というやつだった。東急東横線の日吉駅から奥に入ったところにある住宅街の、普通の民家が経営しているアパート形式の下宿だった。(どこの大学だかバレてしまうけど、知らないふりして読んでもらいたい)

確か部屋代は8千円だった。電気代やガス代を入れてもせいぜい1万3千円くらいで、これは当時としても安すぎる。欠点は学校からいささか遠いということで、歩いて20分くらいかかる。バスに乗れば5分くらいだけど、バス代は馬鹿にならない。幸いにして(?)やがて僕は学校に行くのをやめてしまい、そうなると学生下宿に引きこもっているわけにもいかず、逆方向の綱島へ歩いていって暇をつぶすようになった。やっぱり20分くらいかかるんだが、山越えなのでいい運動になる。

 

それから恵比寿、大岡山と転居したわけだが、やはり一貫して昔ふうの学生下宿を狙って探すことにしていた。当時はまだ大学に籍があったためだが、普通のアパートに比べると馬鹿みたいに安いし、有名大学だから信用されて扱いがいいのである。その時期には、学生はみんな洒落たアパートやマンションに住むようになって、民家の二階を改造して貸すような古いタイプの下宿屋には人が集まらなくなっていた。だから格安でいい条件で居すわることができる。

大岡山では90歳近い婆さんが階下に住んでいて、僕は二階を借りていた。二階にある二部屋のうちのひとつを借りていたのだが、他に借り手がつかなくなって、結局二階全部を占領することになってしまった。そのうちに大学をやめたので単なるひきこもりになってしまい、学生でもないのに学生下宿にゴロゴロしているのはいかがなものか、という状況になってきた。だが他に入居者があるわけもないし、元気そのものだった婆さんも百歳近くになってくるとさすがに弱ってきて(そりゃそうだろう)、危なくて放っておけず、出て行こうにも出て行けない雰囲気だったのである。

 

結局、婆さんが倒れて病院送りになるまで、十数年のあいだ学生下宿に住むことになった。もっとも、僕は顔が美しくて中年になっても19歳くらいにしか見えないので、学生と言っていれば近所の人々は何の疑いも抱かないのだった。しかし婆さんがいなくなると、彼女の親族によって石もて追われるようにそこを追い出されてしまった。それは仕方のないところだろう。

今にして思えば、婆さんは人生の終盤になって、身動きできない僕をかくまう仕事を引き受けてくれたわけで、これも不思議な縁だと思わざるを得ない。

 




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