学生下宿に二十年も住んでいた(どこが学生だ)

春といえば進学の季節で、この時期になると上京して大学に入ったときのことを思い出す。入っただけで出なかったというか、出ちゃったというか、あまり記憶もさだかでないのだが。僕は中年のいい齢したおっさんになっているのに、大学1年あたりで体内時計が止まってしまっている。ここ何十年かはひとまとめにして「最近の出来事」というフォルダーに投げ込まれているようだ。

大学に入ったとき、僕が住むことになったのはいわゆる昔ながらの学生下宿というやつだった。東急東横線の日吉駅から奥に入ったところにある住宅街の、普通の民家が経営しているアパート形式の下宿だった。(どこの大学だかバレてしまうけど、知らないふりして読んでもらいたい)

確か部屋代は8千円だった。電気代やガス代を入れてもせいぜい1万3千円くらいで、これは当時としても安すぎる。欠点は学校からいささか遠いということで、歩いて20分くらいかかる。バスに乗れば5分くらいだけど、バス代は馬鹿にならない。幸いにして(?)やがて僕は学校に行くのをやめてしまい、そうなると学生下宿に引きこもっているわけにもいかず、逆方向の綱島へ歩いていって暇をつぶすようになった。やっぱり20分くらいかかるんだが、山越えなのでいい運動になる。

 

それから恵比寿、大岡山と転居したわけだが、やはり一貫して昔ふうの学生下宿を狙って探すことにしていた。当時はまだ大学に籍があったためだが、普通のアパートに比べると馬鹿みたいに安いし、有名大学だから信用されて扱いがいいのである。その時期には、学生はみんな洒落たアパートやマンションに住むようになって、民家の二階を改造して貸すような古いタイプの下宿屋には人が集まらなくなっていた。だから格安でいい条件で居すわることができる。

大岡山では90歳近い婆さんが階下に住んでいて、僕は二階を借りていた。二階にある二部屋のうちのひとつを借りていたのだが、他に借り手がつかなくなって、結局二階全部を占領することになってしまった。そのうちに大学をやめたので単なるひきこもりになってしまい、学生でもないのに学生下宿にゴロゴロしているのはいかがなものか、という状況になってきた。だが他に入居者があるわけもないし、元気そのものだった婆さんも百歳近くになってくるとさすがに弱ってきて(そりゃそうだろう)、危なくて放っておけず、出て行こうにも出て行けない雰囲気だったのである。

 

結局、婆さんが倒れて病院送りになるまで、十数年のあいだ学生下宿に住むことになった。もっとも、僕は顔が美しくて中年になっても19歳くらいにしか見えないので、学生と言っていれば近所の人々は何の疑いも抱かないのだった。しかし婆さんがいなくなると、彼女の親族によって石もて追われるようにそこを追い出されてしまった。それは仕方のないところだろう。

今にして思えば、婆さんは人生の終盤になって、身動きできない僕をかくまう仕事を引き受けてくれたわけで、これも不思議な縁だと思わざるを得ない。

 

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渋谷の思い出 レコード、プロレス、東横線

プロレスのブログではないのだが、油断しているとついプロレスの話になってしまう。もっとも、ひきこもり・趣味・おたくという流れからいけば、何の話になってもいいし、プロレスの話題はふさわしいのかも知れない。

大学が東横線沿線にあったので、よく足を運ぶ繁華街といえば渋谷だった。新宿や池袋など、人それぞれに思い出の深い町はあるだろうが、僕にとっては渋谷なのである。一時期は隣の恵比寿のあたりに住んでいたので、ちょっとぶらぶら歩いていると渋谷の町なかに出てしまう。といっても、僕が知っているのは自律神経失調症で動けなくなる前の渋谷であって、それはバブルまっただなかの頃の話なのだ。

 

渋谷とプロレスは関係ないと思うかも知れないが、実は大いに関係あるのだ。力道山が作ったプロレスの殿堂、リキ・スポーツパレスが道玄坂にあった。これは昭和43年頃に売却されて、プロレスには使われなくなっていたのだが、その建物は90年代まで残っていたと思う。渋谷駅南口のバス乗り場を抜けると東急プラザがあり、その先の繁華街をくねくねと進んだところに、リキパレスの残骸らしき建物が確かにあった。

現在、この場所にはIT企業の入る雑居ビルが建っているようだ。そればかりか、東急プラザも先年閉館になって取り壊されてしまったし、東急の象徴のような娯楽施設だった東急文化会館も今はなく、さらに言えば東急渋谷駅も昔日のものは一切残っていないのである。今の渋谷は僕の知っている渋谷ではない、としか言いようがない。

大学に受かって本格的に上京した初日、東京駅から山手線で渋谷へ向かい、東横線に乗り換えて下宿のある沿線の町まで乗った時の、心細い気持ちが僕の原点のような気がする。

 

渋谷南口の再開発ぶりはすさまじいものがあるようだが、僕の中にあるのはモアイ像、バス乗り場、東急プラザの静かな風景なのである。

東急プラザは一階にコーヒーショップがあって、中央のエスカレーターが最上階まで吹き抜けになっているので、全館にコーヒーの匂いが充満している。東急プラザといえば条件反射的にコーヒーを思い出してしまうのだ。僕がよく行ったのは一番上の階にある紀伊国屋と、その隣のレコード店だった。レコードはたいていここで買っていたものである。

映画「アマデウス」が公開されて以来、ちょっとしたモーツァルト・ブームが起きていて、僕もその頃はクラシックの中ではモーツァルトをよく聞いていた。もちろんアナログ・レコードの時代であり、レコード盤とカセットテープが主な媒体だった。もちろんネットなどない時代で、音楽を聴くにはレコードを買うかラジオを聴くか、そのくらいの方法しかなかった。東急プラザではカラヤン指揮のベルリン・フィルのモーツァルトをよく買った。1940年代くらいの古い録音のものは、比較的安価に売っていたのである。

若い人にはおなじみのタワーレコードは、かつては東急ハンズの斜交いにあった。現在はライブハウスだかスタジオだかになっているかも知れない。東急本店あたりから盛り場を抜けてよく歩いていったものだが、風俗店の客引きが多くて「どうですか、社長」などと言われるのがおかしかった。いくらなんでも、貧乏大学生の俺が社長に見えるわけはないだろう。

 

往時をしのぶものはどんどん消え去っていくが、昔のテレビドラマを見ると突然、その当時の渋谷が出てくることがあって意表をつかれてしまう。松田優作の「探偵物語」第1話には渋谷東映が出てくるし、「特捜最前線」を見ていると、下宿近くの代官山のあたりがよく映っている。瞬間的に数十年前にタイムスリップしてしまうのは、実に変な気持ちがする。

 

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いじめで自殺していたらきりがないのである

いじめが原因で自殺するというニュースが大々的に取り上げられるようになったのは、80年代後半あたりからではないかと思う。その頃、僕はもういい大人になっていて、俺の頃にもこんなふうに「いじめ」が問題になっていればなあ、と思ったものだ。

中学校の時、よく教師から「いじめられる側に問題がある」と言われた。いじめられる側にも、ではなくて完全にこっちが悪いという論調であった。当時、僕は学校では悪の象徴であり絶対悪であって、僕に対して罵詈雑言を浴びせたり、いやがらせをしたりするのは、全て正義の行為とされていた。それは授業中であっても黙認される。教師にしても、それをとがめたら僕の味方ということにされてしまうので、怖くて何も言えないのだ。

 

僕は「低脳」のうえに「ブサイク」であると言われていた。実際には成績抜群だし、顔も美しかったのだが、それを認めることは絶対に厳禁なのだった。いじめの中枢グループ(数人のキチガイ)にしてみれば、認めてしまっては自分たちが立つ瀬を失ってしまう。それで、いわば恐怖政治を敷いて全校生徒に逆の認識を強要していたのだ。

もちろん学校には行きたくないのだが、不登校などは親が許してくれないので、しかたなく登校していた。しかし登校しても居場所がない。机や椅子もどこかに隠されているので、まともに授業も受けていられないのだ。保健室登校というのが、ちょうどハシりの時代だったと思うのだが、僕の姿を見ると保健の先生が鍵をかけてしまうので、入室もさせてもらえない。僕がベッドに寝たらバイキンがつくので、シーツを取り替えなくてはならないのである。

普通の人間ならばここまでされたら自殺するものだ、だがおまえは平気で生きているし、自殺しろというホームルームの決議も守らない。それはおまえの性格が悪いからだ。……というのが連中の理屈だった。教師からは「胸に手を当ててよく反省しろ。みんなに土下座してこれまでのことを謝れ」とよく説教された。もはや何だかわけが分からない。

 

最近でも原発にからんで菌扱いされるという話があったが、僕はもともと汚染物質のような存在であった。僕の触れたものはもはや使用不能だし、少しでも身体が触れたらもう大変である。それをお互いになすり合い、休み時間も授業中も関係なく鬼ごっこが展開される。

一番大変なのが夏休みや冬休み明けの登校初日で、このときには席替えが行われるのだった。バイキンである僕の近くになりたくないので、その日一日、全ての時間がジャンケン大会に費やされ、負けた者は怒鳴ったりわめいたり、女子の中には本当に泣き出す者までいた。そして、僕を他のクラスにトレードに出してほしいという署名活動が開始され、それが他クラスの反発を呼び、なぜか僕は職員室に呼び出されて「人間のクズ」などと罵られたのだった。

 

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中学時代のいじめを思い出して復讐に燃えるのだ

このごろのニュースで、いじめを認定するとかしないとか、大人がごちゃごちゃ言葉をひねくり回しているようだ。プロレスのチャンピオンじゃないんだから、認定もヘチマもないと思うのだが……要するにやつらの言っているのは常に自己保身であって、どうすれば自分の方に火の粉が飛んでこないか、そこに尽きるのである。

僕は小さい頃からいじめに遭っていた。やり返せばいいと簡単に言う者がいるが、こっちは育ちがいいもんで、もともと他人を傷つけるような教育は受けなかった。だからやり返し方が分からない。親からは「上の学校に行けばいじめはなくなる。だから我慢して通え」と言われつづけた。それでなんとか中学校に上がった。

 

あるとき授業中に、ひとりのキチガイが「くさい」とか「死ね」などと、僕の悪口を大声でわめき出した。教師はとがめずに黙認したので、他の生徒たちもそれに追随するようになり、僕は悪の象徴ということに決まった。教師も生徒も、ちょっとでも僕の味方をすれば事実上、社会的(?)生命を絶たれてしまう。だから全員でこちらの悪口をわめき、いやがらせをすることに必死だったのである。

自殺を示唆されるのは当たり前で、ホームルームでは僕に対して「何日までに自殺しろ」という決議がなされていた。その日に生きて登校したら、多数決で決めたことを守らないというので一日中、罵詈雑言の嵐が浴びせられた。教師からは「おまえはみんなの決めたことを守らない。そういう性格だから嫌われるのだ。胸に手を当ててよく考えてみろ」と説教された。

この中学校で行われた成人式に、僕は出席していない(出られるわけがないだろう)。したがって、いまやおっさんの僕だが、実は成人していないのである。中学校を出ると、この糞いまいましい町から離れることだけが望みとなった。大人になるにつれて怒りで性格が凶暴になり、身体も屈強になってきたので、同級生の馬鹿どもと偶然出くわしたら、今度は締め○してやろうかと手ぐすね引いていたのだが、幸いにしてそういう機会はなかった。思えばずいぶん長いこと、復讐心に燃えていたような気がする。

 

もっとも、暴力的な復讐というのは、やはりよくないことだ。社会的に成功をおさめて、勝ち組となって馬鹿どもを高みから見おろすことこそ、真の意味での復讐であろう(それもいかがなものか、という気がしないでもないが)。

余談だが、僕の場合は顔が美しくて弱そうに見えるのがよくないのだろう。大学に入って最初に教室に入ると、もう後ろの方で「あいつは弱そうだからパシリにしようぜ」という会話が聞こえてきたのである。そして、「おい、ジュース買ってこいよ」と言いに来る馬鹿がいた。その頃の僕は頭がおかしくなっていて、性格は凶暴そのものだった。大学にはほとんど喧嘩をしに通っている感じで、「俺なにやってんだろ」という思いが日ごとに募っていったのである。

 

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引きこもりから脱出しようとは考えてないのだ

偶然のなりゆきから、サーバーを安く借りることになったので、久しぶりにワードプレスでブログを作ることにした。何をやろうかといろいろ考えたんだが、自分が一番詳しいテーマがいいだろうと思って、引きこもり関係の話を書いていくことに決めた。

僕自身が結果的に引きこもっているので、自分のことをつらつら書きつらねていけばそれでいいということになる。まあ楽といえば楽である。

といっても、僕の場合は体調の関係から外出するのがきついというだけの話であって、どちらかといえば外に出るのは好きなほうなのだが。近所のスーパーまで、主に酒を買うために自転車や徒歩で出かけることはある。ただ、電車に乗るのは辛い。車の運転も、別にやってもいいんだけど事故に遭うのが困るのでね。他の人に迷惑をかけてはいけないと思うので、どうしても躊躇してしまう。

さてこのブログだが、世の中によくあるような「引きこもりから脱出する方法」という話にはならない予定である。

別に引きこもりが悪いとは思っていないし、脱出することが成功であるとも考えていない。どんなふうに生きるのも当人の勝手であり、人生はすべて自己責任であるというのが僕のモットーだからだ。

だがそれでは身も蓋もないので、引きこもりでもニートでも何とか大きな顔をして(?)生きていく方法をいろいろ模索してみようと思っている。ブログの内容としては、お金の稼ぎ方、勉強法、健康法、趣味なんかについて書いていくつもりだ。どういう感じになるかは、まだよく分からない。やっているうちに方向性が見えてくるだろうと思っている。