電車恐怖症を少しずつ克服しはじめた頃

電車に乗ると呼吸困難や吐き気に見舞われるようになったのが、22歳頃のことだった。大学をやめたり、女の問題があったりして完全に頭がおかしくなっていた時期なので、神経性の不調であることはまちがいない。原因がどうであれ、電車に乗れないという事実は動かしがたく、どこへ行くにも歩くより仕方がなくなった。ところが、そのうちに電車に乗らなくても気持ちが悪くなるようになった

なんとなく出歩けるようになり、ちょっとずつなら電車にも乗れるようになったのは、それから十年以上経ってからのことである。

 

昨日の記事でプロレスの話を書いていたら、田園コロシアムのことを思い出した。僕の行っていた大学は東急東横線沿線なので、田園調布を通過するときに田園コロシアムはよく眺めていた。のちに目蒲線の大岡山のあたりに住むようになり、そこからなら歩いても行ける距離である。

プロレスの再放送で田園コロシアムの試合を見ていたとき、大学時代を思い出して、ふと「もう電車に乗っても大丈夫じゃないかなあ」という気持ちになったのだ。それから、辛かったけれども意を決して乗るようになった。

吐きそうになると嫌なので、朝から何も食べずに胃の中を空っぽにした状態で乗る。最初は近場の目蒲線や大井町線でふた駅くらい乗ってみることからはじめて、そのうちに大井町にある区立図書館に行ったり、地下鉄で神保町や秋葉原までPCソフトを買いに行ったりできるようになった。こうして目蒲線、大井町線、さらに山手線や地下鉄も大丈夫になってきたんだが、肝心の(?)東横線にはどうしても乗れなかった。下手に学校の近くに行って、知った顔に出くわしたら困るという意識が働いてしまう(当時の教師もほとんど死んでるので、誰かに会う気遣いもないんだが)。

やはり、大学中退ということがあって、それが僕の精神にわだかまりを作っているのだろう。放送大学あたりで残りの単位を取ろうかという気持ちになっているのは、卒業すればそのコンプレックスも消えるのではないかという気持ちからなのだ。

 

ところで、僕が電車の窓から眺めていた頃、田園コロシアムはすでに老朽化してイベントには使われていなかったのだろう。テニススクールの練習場としての使用がメインだったような気がする。田園コロシアムでの大試合といえば、もちろん鶴田・マスカラス戦、さらにはハンセン・アンドレの激突が思い浮かぶ。後者はラッシャー木村の「コンバンワ」の夜である。あとベニー・ユキーデが負けた試合とか、二代目タイガーマスクのお披露目もこの会場だったような気がする。

田園コロシアムが取り壊される前後に、よくあの近くを歩いていた(電車に乗れなかったので)。すると通りかかったセレブふうのババアどもが僕の方を見て「あんな貧乏たらしい子が田園調布に住んでるのかしら?」とひそひそ噂していたものである。まあ貧乏であったことは確かだが、大きなお世話である。

 

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胃下垂を克服するための腹筋運動に盲点があった

さて、話は胃下垂である。

早い話が胃が下がるわけで、これは僕にとって数十年来の持病なのである。ところが、医者へ行っても「胃下垂は病気ではない」と追い返されてしまう。それはそうかも知れないのだが、苦しいことは確かなのであって、何とか克服しようと悪戦苦闘してきたこともまた事実。

 

胃が下がると胃そのものが働かないのはもとより、腸が圧迫されて便もガスも完全に停滞してしまう。ちょっとした腸閉塞のようなことになり、これは命が危ないのではないか、と感じたことも少なくない。医者は簡単に「運動しろ」と言うんだけど、具合が悪くて身動きもできないから困っているのだ。どうも医者という連中は、基本的に想像力が欠如しているようだ。

でも運動すればいいのだろうと思い、以前はとにかく歩くように心がけていた。2キロとか3キロとか歩いたあたりで、たいてい腹筋に限界が来て胃が完全に下がってしまう。そうなると、その場にへたり込むしかなく、これからどうやって帰ればいいんだろう……と途方にくれてしまう。

 

ひどい時には、やせているのに下腹だけが出てしまい、ズボンが入らなくなる。結局、便とガスが完全に停滞しているのだ。便秘薬を大量に飲んで悪いものを全部出すという手があるが、これは抜本的な解決にはならないし、体力が落ちてしまうのでやめた方がいい(経験ずみ)。

対症療法として、ひとつちょっとした裏技を見つけた。ようするに内臓の血行が悪いことが原因なのだから、血の流れをよくしてやればいいのだ。横になってリラックスしつつ、自分の指で腹筋を掴んで、ぐっと上に持ち上げれば、一時的に胃腸の圧迫がとれて血流がよくなる。しばらくやっていると大量にガスが出て、少し楽になるのである。これを習慣的に何年かやっていたら、確かに内臓の血行はよくなってきた。

 

あと、根本的な治し方は、やはり腹筋を鍛えて胃を押し上げることである。

そう思って必死で腹筋運動をやってきたのだが、やればやるほど症状が悪化して、どんどん胃が下がってくるような気がする。というか、鍛えられた腹筋に圧迫されて、ますます血の巡りが悪くなるのですね。考えてみればそのとおりで、普通に部活などでやっているような腹筋運動では、ちょうど胃の真上あたりの腹筋を鍛えることになってしまう。これがまちがいであって、胃を押し上げるためにはもっと下腹の筋肉を鍛えなくてはならない。

いろいろ調べてみたところ、そういう鍛え方が確かにあるようだ。横になった状態から肘をついて上半身を45度くらい起こす。その体勢で、伸ばして揃えた足を頭の高さくらいまで持ち上げるのである。このやり方は、これまで使ったことのない筋肉を急に使うことになるので相当にキツい。普通の腹筋運動ならなんてことのない僕が、20回くらいでギブアップしてしまったほどだ。

これで胃がみぞおちのところまで押し上げられれば、必然的に腸の動きもよくなるというわけである。

 

 

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パニック症候群で電車に乗れなくなった話

僕は21歳くらいから自律神経失調症で本格的に体調が悪くなり、以後十年間は半死半生という感じですごしていた。

当時はまだ心因性の病気に対する理解がほとんどなかったのである。病院で検査を受けてもどこも悪くないと言われ、医者から「いいかげんにずる休みをやめてはどうだ」と説教までされる始末で、本当になさけなかった。

そこで半ば自棄を起こして、「どこも悪くないけどずる休みしてるんだ」と進んで周囲に言いふらすようにした。するとみんな呆れてしまい、逆に何も言われなくなった。

 

そのうちにパニック症候群(その頃、こんな言葉があったかどうかは知らないが)の症状が出てきて、電車に乗れなくなってしまった。すさまじい動悸に襲われ、息ができなくなって乗っていられないのだ。

あるとき、信濃町から下宿のある恵比寿まで電車で帰ろうとしたのだが、ひと駅で死にそうになって千駄ヶ谷で下車した。本来なら新宿か代々木で山手線に乗り換えて、せいぜい15分くらいの道のりである。そのわずかな時間も乗っていられないのである。

このままでは帰れないし、どうにも仕方がないので歩くことにした。結局、千駄ヶ谷から原宿までたどりついたところで力尽きて、修学旅行の高校生がはしゃぎまわっている中でしばらくへたり込んでいたら、あまりの馬鹿らしさに泣けてきた。それから意を決して再び電車に乗り、残りのふた駅(せいぜい5分くらいなのだが)を死ぬ思いで乗り切って帰ったのだった。

 

それがパニック症候群に襲われた最初の経験だったので、どうということもない話なのだが非常に印象に残っている。

それ以来、今でも電車は苦手である。最近はどうにか乗れるようになったのだが、山手線とか地下鉄とか、ゴミゴミしていて空気の悪い環境は相変わらずきつい。まだ新幹線の方がいくぶん楽である。振動がほとんどなくて清潔で、空調が行き届いているせいか呼吸が楽な気がする。

 

これも二十代の頃のことだが、どうしても新幹線にのって遠出しなくてはならなくなった。新幹線に乗るのはまだいいとしても、恵比寿から東京駅までたどり着くことが至難の技なのだ(これまた、山手線か地下鉄日比谷線でせいぜい15分なんだけど)。

やっぱり歩くしかないだろうと思い、山手線の内側をなるべく最短距離で進むように心がけて、東京駅を目指して歩いたのであった。これは今までの人生でも一番ひどい経験であって、真夏のことで脱水症状になるし足はつるし、新橋の手前あたりで一歩も進めなくなって、マジに死ぬかと思った。

そんな思いをしても、まだ電車に乗るよりはましなんだから、パニック症候群というのは厄介なのである。やはりここでギブアップして山手線に乗ったのだが、新橋から東京までの2分間くらいが実に長かったのだなあ。

 

 

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自律神経失調症 私の体験

ひとくちに引きこもりと言ってもさまざまな事情があるだろう。体調が悪くて外に出るのが辛い、という人は多いことと思う。まあ僕も基本的にその中に入る。

僕が体調を悪くしたのは大学生の時で、あるとき胃腸が全く働くなくなって、学食で昼食を取るのがきつくなってきた。やがて講義を受けていられなくなった。1時間半の間じっと座っていること自体ができなくなったのだ。

それからとても学校には行けなくなり、出席日数不足で留年することになった。それは仕方がないとしても、いくらかの単位は取らなくてはと思って、這うようにして試験を受けに行った。

すると僕をズル休みと決めつけて目の仇にしている教師に見つかり、「ここはおまえのような馬鹿の来るところではない」と拡声器で怒鳴られて追い出されてしまった。満場の何百人かの学生たちの嘲笑・爆笑が背中に浴びせられた。その時の屈辱感は今でも心にはっきりと残っている。結局、それが決定打となって、以後十年くらいほとんど起き上がることもできなくなった。

 

一番辛かったのは、身体の具合が悪いと言っても誰一人として信用してくれなかったことだ。

僕は何とか回復したいと思って、病院に行って検査を受けたりしたのだが、どこも悪くないと言われて仮病・ズル休み扱いされるばかりだった。親からは叱責を受けつづけ、最後には低脳・出来損ない呼ばわりされる始末。

現在ならば心療内科というものがポピュラーになっているが、その頃は自律神経失調症といっても世間では通用しなかったのである。

 

ようやく少しずつでも起きて出歩けるようになったのは、30歳を過ぎてからのことである。それまでは地獄そのものだったが、そのあともまたひどかった。出歩くといっても百メートルも歩くとひどい吐き気と目まいに襲われて、行くことも帰ることもできずに道端にうずくまってしまう。

それでも、じたばたと動いているうちに、まさに1ミリずつという感じで回復に向かったのは確かである。現在では電車に乗って出かけ、軽く食事を取るくらいはどうにか可能になった。だが車の運転はまだ怖くてできない。少しずつやろうと思ってはいるのだが。