若者の活字離れに挑戦する!(若者じゃねーよ)

新聞によりますと、このごろは大学生の四割が全く本を読まないそうで、読書星人の僕としてはびっくり仰天してしまう。とはいえ大学生にもいろいろあるだろうから、平均すればそんなものなのかも知れない。

かく言う僕も、寄る年波で目が見えなくなってきて、「世界の歴史」でいえば全集本はいいけど文庫版は辛いという感じで、若者の活字離れが進行していたのである(だから若者じゃないって)。しかし、目のピントを合わせる機能も要するに筋肉の力であろう。ということは、鍛えればある程度は維持できるだろうと思って、文庫本を距離を遠ざけたりせずに強引に読み続けていたところ、またなんとなく見えるようになってきた(笑)。みんな老眼鏡なんかかけるから、却って老眼が進行するのではないか? いずれにしても若者の問題とはいい難いんだが……。

 

過去記事にもいろいろ書いたけど、ここ20年ほどは、ひどい境遇からの現実逃避でSFとミステリばかり読んでいた。どこで人生の分岐点を間違えたのだろうと思い、自分の読書遍歴をさかのぼってみると、高校から大学にかけてはドストエフスキー、トーマス・マン、プルーストといったところを読んでいたのだな。そのあたりから人生をやり直す必要がある、と思ったので、早川や創元の文庫は順番に自炊して廃棄。空いた本棚に前述の作家たちにくわえ、アレクサンドル・デュマ、ディケンズなどの長編作品を並べることにした。どうやら人生をさかのぼりすぎて、19世紀までさかのぼってしまったようである。

というわけで、いま現在は「モンテ・クリスト伯」と「オリバー・ツイスト」を並行で読んでいるのだが、この辺の長編は長いこと楽しめるのがいいところだ。……と思っていたのだけど、SFやミステリといった娯楽作品を読み飛ばすのに慣れすぎてしまって、つい物凄いスピードで読んでしまうのだ。アマゾンで1円(送料257円)で買って、さあ当分堪能できるぞ!と思ったら、あっという間に五分の一くらい読んでしまっていて、「貴重な長編が……」とがっくりくるのだった。別にがっくりしなくてもいいんだけどね。

 

人生をもっとさかのぼれば、僕は幼稚園児の頃から病的な本好きだったのである。ゴミ捨て場に本が捨ててあれば座り込んで夜まで読み続けるという、町内でも有名なキチガイだった。学校ではずっといじめに遭っていて、僕の存在そのものが悪とされていたので、うちの学校では読書といえば「一番やってはいけないこと」と見なされていた。読書感想文の宿題が出ると、全員が原稿用紙五枚中四枚以上を費やして、自分がいかに本を読まない善良な人間であるかを競ってアピールするという、馬鹿の極みのような現象が起きる(これが中学校三年生のレベルなんだから恐ろしいよね)。

その種の馬鹿な話でいえば、僕のいとこが全く本を読まないで「ドラえもん」ばかり読んでいた。親戚のおっさんどもはそれを僕のことだと思い込んでいて、つい最近まで「おいドラえもん、おまえ全然本を読まない馬鹿なんだってな、このバーカ」などとほざいていたのである。読書ひとつをとっても、世の中は理不尽なことばかりである。

 

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世界名作全集を読み返すのだ

スチーブンソンの「宝島」が好きだ、という話を書こうと思って検索してみたんだが、このごろは宝島という名前の店や施設が無数にあって、おまけにそういう名前の出版社もあるので、本家の名作について調べるのが容易ではない。

先日、免許センターの帰りにブックオフに寄ったら、岩波少年文庫の「宝島」が200円で出ていたので迷わず確保。この訳者は僕が行っていた大学の先生なので、一瞬「うわっ、ヤバい」と意味不明の反応をしてしまうんだが、いいかげんにこういう条件反射からは脱却したいものだ。一応、中学生以上に向けて書かれた平易な訳で読みやすく、しかも抄訳ではなくて完全に全編を訳しているようで、これは好感の持てる一冊である(と先生の訳文に偉そうなことを言ってみる)。

 

その「宝島」の話は改めて書くとして、僕の中では世界名作を再び読み直そうという気持ちが大きくなっている。もともとSF好きではあったものの、ここ数十年におけるSFとミステリー三昧は明らかに現実逃避であって、高校から大学教養課程あたりで親しんでいた文学作品にもう一度たち返らないことには、止まっていた時計が動き出さないような思いが強いのである。

高校時代に寝食を忘れて熱中していたのが、ドストエフスキーとトーマス・マンだった。当時、なけなしの小遣いを必死にためて河出書房のドストエーフスキイ全集(米川正夫訳)を一冊ずつ買っていたが、上京したら古本屋のワゴンに百円で出ているので気絶しそうになったものだ。早川や創元の文庫を自炊して本棚に空きができたので、ドストエーフスキイ全集を久しぶりに並べて順に読んでいこうと思っている。

トーマス・マンは吉行淳之介・北杜夫・辻邦生といった人たちが影響を受けて、著作の中で繰り返し言及しているので、どういう作家なのか読んでみようと思ったのが最初だった。新潮文庫の「トニオ・クレーゲル」(高橋義孝訳)に衝撃を受けて、それから図書館に通って長編を読むようになったが、あまりに大長編なので一週間の貸し出し期限ではとても読みきれないのだった。手元にあるのは文庫版の「ベニスに死す」「魔の山」「ブッデンブローク家の人びと」といったところで、当時手に入るのはこれが精一杯だったのだ。何十年も忘れていたけど、高橋義孝の文章には人生で一番影響を受けているようだ。

 

それから、デュマの「三銃士」は角川文庫版の、竹村猛訳のものが懐かしい。現在では活字が大きくなって全三巻に分かれているようだが、手元にあるのは古い上下巻のやつである。やはり文庫は活字が小さくてぎっしり詰め込んでる方が感じが出るんだよね(もはや老眼で見えないんだが)。こういう古典はちょっと古めかしい文章の方がいいような気がする。

デュマといえば「モンテ・クリスト伯」も読みたくなって、あんまり冗長なのは嫌だと思い、半分ほどに凝縮した岩波少年文庫版(やはり竹村猛訳)をさっきアマゾンで注文した。ところが、親が持っていた岩波文庫版(山内義雄訳)を何気なく開いてみたら、意外にすいすい読めるんだなあ。まあ、アフィリエイトで稼いだアマゾンギフト券と交換したので、別に損はしてないからいいんだけど(セコい)。

 

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国内SFとジュヴナイルの思い出

前にもちょっと書いたけど、SFを読むのはひとまず封印して、これからは歴史関係とミステリに専念することにした。というわけで早川と創元の翻訳SFは順番に自炊して廃棄しているんだが、国内SFにはまた別の思いがあって、本をバラす気になれないのだなあ。主に秋元文庫と角川文庫に収録された、70年代前半の少年少女向けSFなんだが。

73、74年頃の文庫ブームに乗っかる形で、ジュヴナイル作品をどしどし文庫化していったのが、ほかならぬ秋元書房と角川書店なのである。旺文社や学研の学年誌に連載されていた作品が、その主な母体なわけで、文庫ブーム以前だと鶴書房の「SFベストセラーズ」が定番であった。これは小学校高学年から中学生くらいが対象年齢だろうか。僕にとってのSFの原点は、このシリーズの「時をかける少女」だった。少年ドラマシリーズで評判になった際、姉が買ってきたのである。そのとき、僕は幼稚園児だったのだが……。

小学校の時には秋元文庫のSFシリーズを買い集めて、さらに角川で出た「なぞの転校生」「ねらわれた学園」の面白さに強く引きつけられた。「明日への追跡」「夕ばえ作戦」を読んでからは断然、光瀬龍の信奉者となり、「百億の昼と千億の夜」に打ちのめされてちょっと頭がおかしくなったのが小6の時。これは大人向けの文庫なので、本屋のレジでなかなか売ってもらえなくて苦労したものだ。その間に「日本沈没」のブームがあり、新潮や文春、さらには後発の集英社まで文庫でSFを出すという、信じられない時代が到来したのである。

 

そういういい時代になったんだけど、僕の方は中学に入るといじめが本格化して、およそ考えられるかぎりの、ありとあらゆる嫌がらせを受けつづける日々となった。言うまでもないことだが、SFジュヴナイルは例外なく学校を舞台としており、登場人物のほとんどが中学生である。僕は中学校とか学校生活とかいった文字を見るだけでも吐き気をもよおすようになって、国内SFを読むことができなくなってしまった。それ以降、早川や創元の翻訳SF一辺倒ということになったのである。

したがって、僕の中では国内SFに関しては、当時のまま時計が完全に止まっている。SF界の重鎮は星新一と小松左京であり、山田正紀や横田順彌はいまだに新進の若手作家だと思い込んでいるのだ。それ以降の作家も作品も一切関知していない。

それから長いことジュヴナイルも忘れ去っていたんだが、ちょっと起きて歩けるようになった頃、数十年ぶりに早稲田の古本屋を見てまわることにした。軒先の百円コーナーを見ていると、懐かしい黄色い背表紙の秋元文庫が、想像以上にたくさん出ているではないか。そういえば、当の秋元書房がこの近くだったよなあ、と思いながら、子供の頃の読書体験が記憶の底からよみがえってきたという次第である。

 

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少年少女講談社文庫が分かるやつはいい齢である

通販ショップの駿河屋から荷が届いた。1500円以上買うと送料が無料になるので、つい大量に買ってしまってやたら大きい箱が送られてくる。駿河屋というから「羊羹買ったの?羊羹!」と母に言われるのだが、そんなでっかい羊羹があるわけないだろう。

歴史関係の本をいろいろ買ったついでに、少年少女講談社文庫の「宝島」が100円だったので確保しておいた。古本の値段はあってないようなものだが、いくらなんでも100円は破格である。実際、現物を見ると別の古本屋の2100円というシールがついていた。オークションだと平均で1000円くらいだろう。

 

少年少女講談社文庫(ふくろうの本)でピンとくるやつは、僕と同世代のおじさん・おばさんに決まっている。これは昭和47年(1972年)に創刊された児童書のシリーズで、当時の子供向け図書の中では豪華本という感じだった。小学校の図書室や学級文庫の定番中の定番である。高学年になって、さあ揃えるぞ!と思ったら本屋から消えてしまったので、77年か78年あたりには絶版になってしまったのだろう。

僕は児童書はあまり読んでなかったのだが、このシリーズにだけは今でも心がときめいてしまう。それはラインナップのよさのせいもあるのだが、ひとつには装丁やさし絵が妙におどろおどろしく、キワモノ的・扇情的であるからだろう。名作文学や偉人の伝記があると思えば、非常にうさんくさい怪奇ものもまた、このシリーズの大きな売りであった。良くも悪くも、講談社おとくいの巻頭グラビアの世界という感じか。当時、おばけ・幽霊もののさし絵の物凄さがトラウマになった子供は数知れない。

 

さて、少年少女講談社文庫で手元にあるのは、「怪人二十面相」「怪談ほか」「少年姿三四郎」「八犬伝」「おばけを探検する」、そして今回買った「宝島」で六冊目。ネット上でしばしば話題になる「怪談ほか」は、小泉八雲の諸作の他、「開いた窓」「さるの手」など恐怖短編を収録した伝説の名編である。これは一時期、講談社青い鳥文庫に収録されていたが、現在は絶版になっていてオークションでは1万円以上の値段がついている(無茶ですな)。

この辺の恐怖ものは学級文庫で引っぱりだこであって、「おばけを探検する」も、そのおどろおどろしさが大好きで、学級文庫では飽き足らずに自分で購入してしまったのである。今回、数十年ぶりに読み返したら、冒頭で昔住んでいた地名が二ヶ所連続で登場したのにはびっくりしてしまった。やはり僕は呪われているようだ(笑)。

 

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あるいはSF文庫でいっぱいの部屋

過去記事にも書いたように、幼稚園の頃からSFファンで滅多やたらに早川や創元の文庫を買いまくっていたら、部屋は数千冊の書物でパンク状態。

かねてよりどうしようかなーと思っていたところ、今世紀に入ってからのSFの流れといいますか、海外SFの動向なんかを見るにつけ、ちょっと嫌気がさしてきたのだな。SF界がどうこうというより、自分の感覚と合わなくなってきて、新作を読んでも少しも面白くない。結局、自分は昭和のSFファンであることを痛感した次第で、これを機にSF関係の文庫本は順番に自炊したのち廃棄することにした。

てなわけで、去年からスキャナに取り込んでPDF化して、ゴミの日に出すのを繰り返しているんだが、スキャナが安物なので一日一冊ペースがやっと。ようやく300冊くらい処分して、本棚半分くらいはスペースが開いてきた。でも歴史ものとかミステリーは相変わらずどしどし買い込んでいるので、本の総数は変わらないという始末で、われながら困ったものだ。それでも300冊がDVD一枚に収まってしまうのは驚きで、もうちょい高いスキャナを買えば作業効率も上がるだろう。

 

こうして文庫を大量に捨てるにつけ、思い出すのはSF小説を探して奔走した日々のことである。十年くらい身動きできない時期があって、ようやく起き上がれるようになると、吐き気やめまいを抱えながら地下鉄に乗って、神保町や高田馬場へ必死になって足を運んだものだ。

僕は翻訳SFの中でも40年代・50年代の、いわゆる黄金期の名作にいかれていて、サイバーパンクが流行りだした頃にも「なにそれ、おいしいの?」という態度でツッパッていた。要するに古いSF読みってことなんだが。

ちょうどその頃(85、86年頃)、ハインラインの未来史シリーズやジュヴナイル作品といった、長いこと幻の名作と言われていた作品群が早川と創元から一気に刊行されはじめたのである。僕は文字通り寝食を忘れて読みふけり、あまりの面白さに打ちのめされて、数年のあいだ、半ば放心状態という感じだった。やはりストーリー・テリングにおいては、ハインラインが古今随一の存在だと、今でも思っている。

 

学生時代、僕が新刊を買っていた渋谷の本屋も、古本を探してまわった東横線・目蒲線・大井町線沿線の古本屋も、今ではほとんどが消えてなくなっているので、茫然となってしまう。特に一番びっくりするのは、巨大な駅ビルが建ってしまった日吉の変わりようなのだが……。ジャック・フィニィの小説みたいに、ふらっと電車を降りたら三十年前の学生街に戻っていた、なんてことがないものかと思うのだ。

 

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