青春の読書 失われた豪華本を求めて

読書話の続き。

中公の「日本の歴史」「世界の歴史(旧版)」は、全集本・文庫・バックスの三種類が混ざり合っている。とにかく一番安いやつを買って揃えたからこうなったんだが、高校時代に欲しかった文庫版が、今となっては字が小さくて一番読みにくいのは皮肉なことである。

全集本は文庫よりは字が大きくて読みやすい。しかしかさばるのが難点で、こういう豪華本は倉庫の中にやたらにあって、場所をとるので悩みの種となっている。でも古本屋で百円均一で買えたりするから、欲しい作品を手っ取り早く手に入れるには重宝するんだよね。大学時代、神保町をぶらつくたびに「世界の名著」を百円コーナーでずいぶん買ったものだ。

 

それから、これまた高校時代に高嶺の花だった河出書房新社の米川正夫訳・ドストエーフスキイ全集。当時小遣いをためて一冊ずつ買ったんだが、あまりに高いので馬鹿らしくなって、「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」なんかの有名作は、別の全集本に収録されたのを百円で買ったような気がする。米川訳なのでとりあえず内容は一緒のはずなんだが、ひょっとしたら違うバージョンの訳かも知れない。

その種の話では、僕の学生時代(80年代)にはほとんど手に入れることができなかったのが、プルーストの「失われた時を求めて」である。かろうじて、「スワン家のほうへ」と「花咲く乙女たち」が筑摩書房の文学全集に収められており、これを確か神保町の小宮山書店で、それぞれ二千円か三千円くらいで買ったと思う。今は文庫版が出ているようだが、やっぱり高いようだ。どうしてプルーストは、今も昔もあんなに高いのか?

小宮山書店には、一時期(昭和60年頃)、最も上のフロアに文庫専門コーナーができて、絶版になった文庫をやたらと並べているので、狂喜乱舞して通いつめたものである。その頃欲しかった角川文庫の「安吾捕物帖」を手に入れたときは嬉しかった。しかし僕以外に客はほとんど来なかったようで、すぐにフロア自体が閉鎖されてしまったのは残念であった。

 

あと、豪華本で思い出すのは、高校時代に買ったフィリップ・ロスの「素晴らしいアメリカ野球」、これは集英社版・世界の文学34巻で、「さようならコロンバス」(これは有名作で、映画化もされている)とカップリングの一冊である。

「素晴らしいアメリカ野球」のことは、その数年前、まだ小学生だった時分に少年ジャンプに出ていた広告で知った。本格野球小説(まあ確かに嘘ではない)らしいので読みたかったのだが、そんな高価な本を小学生が買えるわけはない。40年前、ジャンプが130円の頃に1300円という値段だった。高校生にとっても、ちょっと勇気のいる買い物だろう。この本は今でも大事にしていて、書棚の一番いい場所に立ててある。

フィリップ・ロスは、村上春樹と同様、毎年のようにノーベル賞候補に名前が出るほどの大御所になった。「さようならコロンバス」は時々話題にのぼるが、「素晴らしいアメリカ野球」の方は不遇もいいところで、現在は日本語訳は古本でしか手に入らないはずである。いわば忘れられた傑作といったところで、これを超える野球小説は後にも先にもないような気がするのだ。

 

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引きこもっていると読書がはかどるのだ

前回、XPをインストールしなおしたPCだが、どの辺で不具合が出るのかなーと探りつついろんなソフトを入れて試していたらば、あっさり電源が終わってしまった。もはやLinuxでもうまく起動しないありさまで、結局安定しない原因は、電力供給ができてなかったってことだな。いわゆる「オッカムの剃刀」というやつで、物事に複数の推論が成り立つ場合は、一番単純なものが真理に近いわけである。

こうなったら仕方がないので、オークションで安いスリム用の電源を買って付け替えてみることにする。その奮闘記は後日お伝えするとして……今のところPCに復旧の見込みがなく、ゲームもできない状態と相成ったので、ただひたすら読書に専念だ。

 

まず、数ヶ月前からやっている中公の「日本の歴史」と「世界の歴史(旧版)」一気読みは、順調に進んでそれぞれ十冊目に突入した。合わせて二十冊一気に読んでいるわけで、若い頃ならともかく中年のおっさんとしては、集中力の持続が難しいのだ。基本的に毎日80ページのペースを維持しているのだが、ストーリー的に面白いところはいいんだけど、荘園とか民衆の暮らしとかいった学術的な記述になると読むのがつらい。僕はそういうところに興味がないのに、執筆者の先生方は専門分野だから嬉々として延々語るのである。

世界の歴史第10巻「フランス革命とナポレオン」は、さすがにメチャクチャな面白さ。これは僕の人生でも指折り数えるくらいの爽快な一冊である。しかし革命の英雄が次々にギロチンにかけられる展開は、最後の方になると「もういいよ」という気持ちになってしまう。おそらくフランスの民衆もそういう気分だったのだろう。この本の内容は、今の若人から見れば古くて話にならないのかも知れないけど、昭和っ子の琴線に触れるものがある。

それに比べると、日本の歴史10巻の「下克上の時代」は爽快なところが全くないのだ。時代は応仁の乱で激しく動くのだが、そこにはそれぞれの打算と厭世観が入り乱れてグチャグチャのごった煮状態。これは読んでいて鬱になってしまう。早いとこ、戦国の英雄たちに登場してもらいたいものだ。

 

このところ、SFを読むのはやめにして早川と創元のミステリ文庫に専念しているのだが、飛ばし読みの癖がついてしまって推理小説が頭に入りにくい。もうちょっと熟読する必要がありそうだ。

歴史がらみでジョセフィン・テイの「時の娘」を久しぶりに読み返したら、この影響を受けて高木彬光が書いた「成吉思汗の秘密」を読みたくなったんだが、手元にないようだ。どうせアマゾンで1円だろうから、今度何かのついでに買うことにしよう。角川文庫で横溝正史・森村誠一に続いて、ちょっと高木彬光がブームになったような気がしたが、あれは78年頃だろうか。あの頃の角川文庫は勢いがあって面白く、存在自体が社会的なムーブメントみたいなところがあった。つづく。

 

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いじめに遭っていた中学時代に読んだ本

中学校ではいじめに遭っていて、どこにも居場所がないのが困りものであった。

登校しても机や椅子はどこかに隠されている。まあたいていは校舎裏の溝に投げ込まれていて、それを見つけて洗っているうちに二時間目くらいになってしまう。保健室へ行こうにも、僕の姿を見ると教師が鍵をかけてしまうので入れない。それで図書室にいるようになったのだが、そのうちに本がバイキンで汚染されるというので全校的に問題になり、僕に限って入室禁止ということになった。ようするに、どこにいてもいけないのだ。

結局、現実世界に僕の居場所はないのだということを理解した。それで読書の世界にのみ生きることになったのだが、おかげで読解力の針が振り切れて国語のテストでは百点を取るようになり、高校生になると全国模試で上位に入るくらいになったのだから、何が幸いするか分からないものだ。(さらに、そのためにくだらん大学に入ることになって苦労したのも事実だが)

 

小学生の頃から(実は幼稚園から)SFファンで、国内ジュヴナイルに熱を上げていた。好きだったのは眉村卓光瀬龍である。この二人は数あるSF作家の中でも、少年少女の描写がうまいことでは双璧である。

眉村卓の「ねらわれた学園」「なぞの転校生」は名作として知られているが、僕が好きだったのは黄色い背表紙の秋元文庫から出た「天才はつくられる」と「地獄の才能」だった。光瀬龍のジュヴナイルも名作ぞろいで枚挙に暇がない。「夕ばえ作戦」の爽快さにはいつも心を慰められていた。当サイトでしばしば言及している大岡山の学生下宿云々は、まさにこの作品の舞台となった町である。今なお一番好きなのは「明日への追跡」で、美少女たちの鮮やかさに光瀬龍のうまさが出ている。

こうした国内ジュヴナイルは全て中学校が舞台になっていて、僕はいじめに遭っているうちに、読むのがいやになってしまった。そのうちに中学校という字を見るだけで吐き気がするようになり、完全に翻訳SFにシフトしてしまったのである。おかげで原書から英語にのめりこむようになったわけだが(こればっかりだな)。

 

本格的に小説を読みはじめたのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」あたりがきっかけだったと思う。「国盗り物語」「新史太閤記」も面白かった。吉川英治の「宮本武蔵」や「新書太閤記」も小6か中1で読んでいる。

だが歴史ものではむしろ、井上靖の「天平の甍」「敦煌」「風林火山」の印象が非常に強いのだ。確か中学校の体育館で「天平の甍」と「風林火山」の映画を上映して、暗いのをいいことに全校生徒から嫌がらせの限りを尽くされたので記憶に残っている。だから唾棄すべき映画だと思っていたのだが、最近になってBS放送で見直すと名作だったのでびっくりしてしまった。

井上靖の作品では自伝的作品「しろばんば」と「夏草冬濤」が読書感想文の定番となっているようで、クラスの馬鹿連中もよく感想文を書いていた。ところが、僕が本キチガイなのは誰でも知っているので、うちの中学では僕の逆、つまり本を読まないことが正義なのだった。読書感想文の宿題では、原稿用紙五枚のうち四枚を費やして、自分がいかに本を読まない正義の人間であるかを自慢しあうのがテンプレになっており、馬鹿さかげんもここに極まれりという感じがした。

そんなことはともかく、僕は「しろばんば」「夏草冬濤」よりも、そのさらに続編の「北の海」が好きだった。勉強しないで柔道ばかりやっている旧制中学生(浪人生)の話で、のんきで豪放磊落な雰囲気が、自分の学校生活とあまりにかけ離れているので強く印象に残ったのだった。

 

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日本プロレス全史 豪華本に見る裏の昭和史

このところ「クロニック世界全史」「日本全史」と豪華本を連続で買ってしまい(合わせて1800円だが)、床が抜けそうなのでこれ以上重い本を買うのはやめようと決意した。ところがその矢先、これまた欲しかった豪華本「日本プロレス全史」がネット書店に出ていたので、ついつい衝動買い。定価一万円というなかなかのお値段だったのだが、一昨日見たところ、なんと200円!いくら何でも安すぎないか?と思いながらクリックしたのであった。

もっとも、これは1995年に出版された古いやつである。2014年に同じベースボール・マガジン社から改訂新版が発行されたため、旧版は歴史的役目を終えたということだろう。僕はここ20年のプロレスをほとんど見てないので、無理に新版を買っても意味ないわけで、古いのが200円で手に入れば大満足だ。

prowrestling

 

この「日本プロレス全史」は、この種の豪華本の定石どおりというか、年表ふうの記述になっており、どちらかといえば写真の方がメインである。懐かしい写真の数々は、元プロレス少年にはこたえられない楽しさで、これはもうひとつの昭和現代史という感じだ。逆に言うと、読ませるタイプの本ではない。いや、年表部分を読んでいても十二分に楽しいのだが、これがプロレス・マスコミ的な記述の羅列に終わっているところが物足りない。

豪華写真と年表的な記載で思い出すのが、同時期に出た「週刊ゴング増刊号・日本プロレス40年史」というムック本である。これまた僕が大事にしている一冊なのだが、冒頭のプロレス記者や山本小鉄の座談会の面白さはあるものの、本文はやはり「誰と誰が試合をした」的な情報を並べただけである。

gong

 

僕は歴史好きということもあり、プロレスの歴史をしっかり読みたいと思っているのだが、その好奇心を満足させてくれる本がなかなかないのが現状なのだ。今回買った豪華本のように、マスコミ的な見出しを並べただけの記述だったり、逆に「プロレス界の内幕を暴く」といったコンセプトのドギツいドロドロ話だったりで、どうも両極端でいけない。科学的・客観的に記されたプロレス史というものはないのだろうか、と思ってしまう。

先年話題を呼んだ「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は、骨太のドキュメンタリーとして読みごたえがあった。これは柔道とプロレスの裏面史としての面白さであり、なおさら表の方(プロレスが表なのかどうかは分からないけど)を詳しく知りたいという思いが強くなる。

最近次々に出版されている昭和プロレスの本よりも、僕はむしろ90年代前半くらいに出ていた別冊宝島のプロレス・シリーズが好きである。ややキワモノという感じで、いま読むと古さは否定できないんだが、プロレスファンが真摯にプロレスについて考えている同時代ドキュメントとして好感が持てるのだ。

 

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日本全史と世界全史を大人買いしたのだ

先日、かねてからどうしても欲しかった「クロニック世界全史」という大型本をネット購入した。予想通りのすばらしさで、こうなると姉妹編の「日本全史(ジャパン・クロニック)」も欲しくなり、衝動的にクリックしたものが先ほど到着したのである。

まず驚かされるのがその大きさ。普通の百科事典をひとまわり大きくした感じで、うちにある本の中でも一番でかくて重い。3キロ以上はあるんじゃないかな。せどりの経験があるから身にしみて分かるんだが、これは発送する業者も大変である。

それからお値段も半端ではない。定価ならば二冊で3万円といったところだ。僕は非常な本キチガイだが、過去に買った最も高価な本は8千円台だったと思う。まあ破格の豪華本と言ってよかろう。普通ならば図書館に置いてあるのを眺めるのが精一杯という感じなのだが、今はネットで居ながらにして古本を買える時代。なんと二つあわせて2千円以下というんだからおそろしい。なめとんかワレ!と言いたくなる。

chronik

クロニックというのは年代記とか編年史という意味だそうで、ようするに歴史を年代順に記しているということだろう。というか、現物を見れば一目瞭然なんだけど、歴史のトピックを新聞記事ふうに書いてあるところが眼目である。しかも写真入りだからね、そのワクワク感はたとえようがない。読み出したらきりがないので、仕事が片付くまでは絶対に読まないように、自分に言い聞かせなくてはならないのだ。

これは1990年代初頭に発行されたもので、いわばバブルの所産なのかも知れない。現代はネット時代であるし、ただでさえ本が売れない時代だから、こういう豪華な(無茶な)企画はもはや出てこないのではないか。

 

ところで、このごろテレビなどでよく「日本史の嘘を暴く」みたいな番組をやっていて、鎌倉幕府の成立は1192年ではないとか、源頼朝や足利尊氏の肖像は別人だとか、はては聖徳太子は存在しなかったとか、センセーショナルに騒ぎたてている。僕はああいうのが大嫌いなのである。学問としての歴史にも歴史があるのであって、昨日今日思いついたことをスクープみたいに喧伝するのはやめてもらいたい。

やはり、僕のような昭和人間には、古い昭和史観の方がしっくりするのである。聖徳太子は聖徳太子だし、源頼朝や足利尊氏はあんな顔をしていたのだ、それでいいのである。

そんなわけで、これからも永久に手放すことがないであろう「日本全史」「世界全史」だが、困るのはその圧倒的重量。読もうと思って持ち上げるたびに腰がグキッというのは、なんとかしてもらいたいものだ(それは齢のせいだろう)。

 

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