落ちこぼれから地歴偏差値を60まで上げる簡単な方法

社会人から大学を受けなおそうという人、勉強が得意でない現役中高生のお友達にとって、社会(地歴)は厄介な存在だろうと思う。どの科目を選択するにしても、いわゆる暗記ものと目されているので、時間は食うし効率は上がらないしで、泣きたい気持ちになるのもよく分かるのだ。

といって、暗記ものだというので四六時中、難しい顔をして教科書を睨みつけていても、覚えられるものではないのだな。要領の悪い人は、時間をかけて字面を追っただけで勉強した気になっている。これは本末転倒であって、大事なのは時間を潰すことではなく、できるだけ効率よく覚えることなのだ。ここで発想を転換して、地歴は暗記ものではないと考えてみよう。

 

とは言いながら、結局のところ世界史、または日本史の教科書に書かれている内容を、まるまる覚え込むことが目標であることは確かなのである。教科書が完全に頭に入れば、偏差値60は軽く突破できることは間違いない。それくらいあれば中堅私大は余裕だろう(もっと難関校を目指したいという人もあるだろうが、物事は段階を踏むことが大事である)。

というわけで、これから地歴(社会)を、とりあえずビールみたいにとりあえず得意科目にする方法について解説していきたい。世界史を例に挙げるけれど、やり方は日本史でも地理でも一緒である。ちなみに言うと、地理が受験科目になることはあまりないので、お勧めするのは日本史か世界史である。

 

われわれの時代(共通一次世代)にも、教科書を丸暗記せよ、ということは普通に言われていた。ただ問題はそのやり方なのだ。教科書というのは非常に簡潔にまとめられていて、世界史好きが改めて読むとうっとりするほどなのだが、必要最小限の説明しかなされていないので、これを読んで暗記するのは難しい。ともすれば意味のない記号の丸暗記になってしまう。結局、教科書というのは授業における先生の解説つきで読むことを前提として書かれているのである。だから授業を聞きながら、教科書に書いてある重要事項を覚えていけばそれに越したことはないのだが、授業はたいてい退屈なので、ボーッと聞き流してしまうのだな。それを補うために学習塾に行ったりするわけで。

 

ここで少し脱線するけれど、日本史と世界史ではどちらを選択すればいいか、というのも大事な問題である。世界史はいまいちなじみがないので、多くの諸君が日本史を選択するのではないだろうか。ここにちょっと落とし穴がありまして、実は世界史を選択した方が受験の上では断然有利なのである。

なぜかというと、現在は世界史が必修で日本史は選択科目である。したがって、普通の公立校などでは、世界史は二年生と三年生の二年間かけて習うが、日本史は三年生の一年間だけでやる場合が多い(そうでない高校もあるけど)。単純に二年対一年で、世界史の方が学習時間が多いのだ。日本史を受験科目にするなら、二年生の時点で勉強をはじめなければ間に合わないのだが、まだ地歴の選択科目も確定しておらず、教科書も配られてない段階でわざわざ日本史を勉強するやつは、普通の高校にはあまりいないだろう。(有名進学校なら、当然カリキュラムとしてそのくらいのことはやっている)

 

さて次回は、基本的な勉強方法と参考書選びについて解説することとしよう。それではみなさま、ごきげんよう。

 




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ひきこもり・ニートの大学受験!再挑戦のススメ

当サイトのひとつのテーマである勉強ネタなんだが、どうも引きこもりはあまり関係なく、いろんな層の人に読まれているようである。考えてみれば当然で、不登校などでまともに授業を受けてないから、改めて勉強しようとしても何から始めていいか分からない、という人を対象に書いているのだ。したがって、内容的には勉強し直したいという社会人や、現役の中高生にもしっかり当てはまると思っている。

特に、中学生や高校生の若い読者ちゃんで、自分では頭は悪くないつもりなのに今いち勉強が苦手……という人にはぜひ参考にしていただきたい。僕の紹介するやり方では、偏差値60前後までは無理なく上げることができる。これはセンター試験で九割くらい取れるレベルであって、普通の公立高校ならばかなり上位の成績と言ってよい。そこまでいければ周囲の見る目も変わってくるし、親からガタガタと説教されることもなくなるというものだ。

 

世間には学習塾というものがあって、親たちはこぞって子供を通わせようとするのだが、はっきり言っていく必要はない。どうせ学校の授業をもう一回繰り返すだけなので、時間の無駄である(同じことを二回聞いた方がいいという考え方もあるだろうが)。不登校経験者とか、勉強が苦手という人が即席で成績を上げようと考えるならば、無駄を省いて効率的にやるしかない。だから狙い目は、受験科目の少ない中堅以上の私立大学に絞るべきである。下手に塾なんかに行くと、やりたくない科目の授業まで受けさせられてしまって、全てが中途半端になってしまうのだ。

私立文系を目標とするならば、受験科目は基本的に国語・英語・地歴(社会)である。英語・地歴に小論文または面接というところもある。中堅校以上なら、地歴はたいてい世界史Bか日本史Bの選択だろう。と考えれば、何をやるべきかがはっきりしてくるわけである。国語の成績を急激に上げることは難しいので、まずやるべきことは英語と、世界史または日本史を固めることだ。この二科目が仕上がればなんとかなる。普通程度の頭脳と根気があれば、仕上げることは難しくないのだが、繰り返すけど普通の公立高校でこのレベルまでいく生徒は多くないのだ。逆に言えば容易に抜きん出ることができるわけだが。

 

勉強の仕方の一端は既に過去記事に書いているのだが、これからさらに詳しく解説していくつもりだ。参考書代はおそらく五千円くらいしかかからないだろうし、アマゾンで古いバージョンを集めれば1500円くらいですむだろう(セコいなあ)。ただし、魔法のように楽して成績が上がるわけはないので、一年とか二年とか、黙って毎日続ける根気が必要であることはあらかじめ言っておきたい。飯を食ったり歯を磨いたりするように、惰性でダラダラ続ければいいだけなのだが、こと勉強となると、これがなぜか難しいのだなあ。

 




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ひきこもり・落ちこぼれが英語を得意科目にする方法

昨日のニュースを見ていたら、センター試験に代わる試験方式云々という話をやっていたが、かく言う僕は筋金入りの共通一次世代!……と言いつつ実態は私大中退だから、全く無関係というか門外漢もいいところだったりする。そんなことはともかく、こっちは外人と会話したいわけではないので、ただひたすら知識を詰め込んで読解力を上げて、男は黙ってマークシート方式といきたいところだ(いや門外漢なんだけど)。

受験方式がどう変わろうと、とりあえずビールみたいに、とりあえず英語が大事であることは永遠普遍の真理。受験においては、英語さえできればなんとかなる、というのは昔も今も同じなのだ。僕は英語が得意だったので意識したこともないんだが、成績のいい子でも英語ができないやつは本当にできないのだな。特にひきこもりや不登校を経験した人は、とてもじゃないが授業についていけなくなって、絶望的な気持ちとともに努力を放擲してしまうんじゃないだろうか。

 

現役の高校生でも社会人でもいいけど(大学生でも別にいい)、英語が苦手でどうにもならん!という人が、一転して英語を得意科目にする方法が、ひとつだけある。それは、中学校の英語をやり直すことだ。よくRPGで、敵が強くて歯が立たないという場面があるでしょう。そういう時は、もと来た道を引き返して、ひとつ前の町のあたりまで戻って経験値稼ぎをやればいいのだ。いくらなんでも、中学校の一番最初の授業から分からないということはないだろう。最初からやり直せば、どこで分からなくなるかが分かる。自分のレベルを把握することができるのも大きい。

大人になって中学校の勉強をするのは抵抗があると思うけど、このごろは社会人向けのやり直し用の中学英文法の本がいろいろ出ているようだ。あとはシス単の中学版で単語を覚えれば、中学英語は完璧になるだろう。あなたがいま高校に入学したばかりだと仮定すれば、中学英語が完璧に理解できている状態というのは、これは「英語が得意である」と言い切ってさしつかえないと思う。

 

ここに至ってようやく、普通に高校レベルの受験勉強が開始できるというわけだ。意味の分からない参考書をただ読んだり書き写したりして、勉強した気になるというのは一番よくない。受験勉強はRPGの「おつかいゲーム」みたいなものであって、回り道してもひとつひとつイベントをこなして、フラグを立てていくしかないのである。

中学校で習う内容が完璧に押さえられていれば、センター試験や中堅校レベルの受験勉強は、それほど難しいものではない。具体的にいえば「総合英語Forest」「シス単Basic」を仕上げるだけで、偏差値60前後までは無理なく持っていけるだろう。有名進学校ではなく普通の公立校で、このレベルまで達するやつはそう多くないのだ。おそらく、ここまでいけば周囲から「あいつスゲーなあ」と尊敬を集め、女子たちからキャーキャー騒がれるにちがいない(あとの方は保証できないけど)。

 




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ひきこもり・ニートでも人生を諦めない 勉強とビジネスで明日を開こう

僕は読書好きなので、嬉々として読書関係の記事を書くのだが、実際のところそういう記事は若い人には受けないのだな。当サイトでいえば「勉強しないで大学に受かった」という話ばかり読まれているようだ。大学生の大多数が月に一冊も本を読まない、なんて話を聞くことがあって、本当かよ?と思ってしまうのだが、読書好きの若者が少数派であるのは確かなのだろう。

映画やアニメ、漫画、ゲームもいいけれど、これだけでは視覚情報に偏りすぎているし、思考・思索という意味ではまったく踏み込みが浅いと言うしかない。特に当サイトのテーマはひきこもりによる勉強とネットビジネスであるから、活字から情報をインプットすることはやはり基本中の基本なのである。だからといって、「世界の歴史」を全巻一気読みしたり、ドストエフスキーだトルストイだと気絶的な大長編の話ばかり喜んで記事にしても、これは今どきの若い読者ちゃんに受けるわけがないのであった。(でも懲りずに書くんだけど)

 

話は飛ぶんだが、僕は「がんばる」という言葉が嫌いである。がんばるというのは一点に集中して異常な力を出すことであって、そのあとは反動でぐったりと疲れてしまうのだ。一日だけ一生懸命勉強しても、あとが続かなければ何の意味もない。継続して物事をやるためのコツは、実は「がんばらない」ことなのである。何事もダラダラと、毎日惰性でやるのが一番だ。ということを老境(?)にさしかかってようやく知ったわけである。ちょっと遅かったような気がするが……。orz

たとえば、千ページもある分厚い本を読めと言われたらいやになるだろうが、毎日十ページずつ休まずに読めば、百日たてば嫌でも最後のページまで達してしまうのだ。いくら本を読むのが苦手だといっても、十ページくらいは読めるだろう(それも読めないというやつが、こんな文字だらけのブログを見に来るとは思えない)。世の中のあらゆる物事は、これと同じく、何も考えずに進む一歩一歩の積み重ねにすぎないのだ。これは勉強にもネットビジネスにも当てはまることで、一日に惰性でやる作業量は微々たるものであっても、それに365日をかければ膨大なものになる。幸いにして(?)ひきこもりには時間だけはあるから、がんばらずにダラダラ続けさえすれば、たいていのことは必ずやり遂げられるのである。

 

僕がそのことに気がついたのは、おっさんになってからのことだった。若い頃からそういう姿勢ならよかったんだけどね。生来が怠け者なので、つい「今日は面倒だから明日からやろう」と思ってしまう。だが、昨日から見れば今がまさに明日なわけで、そう思った時が始める時だと思って、条件反射的にダラダラと作業をやり始めることにしている。というか、そういうふうに習慣づけているのだ。こういうところは、中年になってかなり人が変わったと思っている。

受験勉強もネットビジネスも、ひとつの教材(参考書)を最初から最後までやり抜くことが基本だ。その意味では、分厚い本を毎日少しずつ読んで、最後まで読み通すというのはトレーニングとしてちょうどいいのではないかと思う。コツはとにかく「がんばらない」こと。適当にいいかげんに、ダラダラと毎日継続することである。

 

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ひきこもり・ニートが勉強して落ちこぼれを脱出することの意味

僕は子供の頃から成績がよかったので、周囲からはガリ勉と言われて、性格の悪い人間の代表として扱われていた。それが拡大して激烈ないじめに発展していったのである。ところが、当の僕自身は大学に入るまで(というか大学をやめるまで)試験勉強というものをまともにやったことがなかったのだ。だから、試験の点数を意識したことは全くないし、人並みな努力というものもしたことがなかった。まあ、怠け者でいいかげんな人間であったことは否定できない。

変な話だが、大学を中退してから勉強の必要性を知り、毎日少しずつ努力するということを知って、本当の「ガリ勉」になったのである。人が変わった、あるいは大人になったということかも知れない。

 

ところで、当サイトではお金儲けと勉強を二大テーマと考えている。お金を稼いで知性を身につければ、たとえニートやひきこもりであっても、社会ででかい面をしていられるだろう、というのが根本的な姿勢なのである。

そこでですなー、いざ勉強の話をしようとすると、周囲の普通の人たち(?)と会話が成立しないことが少なくないのだ。ようするに、知性を身につけようと主張しても、「大学で習った知識に何の意味があるの? 何の役に立つの?」などと言われてしまう。僕が文学部出身の歴史好きだから、なおさらその傾向が強い。法学部や経済学部ならいいが、文学部は社会では全く役に立たない、なんてことを親からも言われる始末なのだ。

こういうことを言う人たちは、学問とか知性とかいったことを理解していないのだ。大学を職業訓練学校かなにかだと勘違いしている。大学で学んだことが何の役に立つか、といえば何の役にも立ちはしない。ただ、教養を身につけることで高いレベルの境地に達することを目指しているのだ、としか言いようがないのである。それが腹の足しにならないからくだらない、と言われればそれまでのことなのだ。

 

しかし、そんなことを言い出せば、人間のやることは全部意味がない、という極論になってしまう。ざっくり言うなら飯を食うこととセックスすること以外は全部無意味だろう。お金にしても実体はただの紙きれであって、それ自体が何かの役に立つわけではない。価値があるという意味を付加することで、ようやく世の中に流通しているにすぎない。

つまり、自分にとって何が大切かという、その価値観を見きわめることに全てはかかっているのだ。教養を身につけること、毎日努力すること、本を読むこと、それが大事だと感じることが出発点なのである。腹の足しにならないからやらない、というのでは犬や猫と変わりがないではないか。……と言いつつ、今日もまた「役に立たん本ばかり読むな」と親から怒られてばかりなんだけどね。

 




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