相撲好きの変な子供だったのだ

今日から大相撲春場所が始まるので、相撲についての思い出なんかを書いてみようと思う。なんでも、今は空前の相撲ブームなのだという。空前というのは眉唾だが、八百長問題で閑古鳥が鳴いていた頃に比べると恐ろしい盛況ぶりなのは確かである。

しかし70年代の相撲ブームはこんなものではなかった。僕はそのブームのまっただなか、特に輪湖時代に熱中して見ていた相撲少年だったのだが、子供としてはもちろん少数派であって、学校で相撲の話をすると「おまえ、相撲なんか見てるのか!?」とびっくりされるのが常だったのである。大学生になって上京したとき、真っ先に相撲の聖地である蔵前国技館に足を運んだ。ところが、国技館はまさに取り壊されて、完全なさら地になっていたのだった。実のところ、これが相撲に関するもっとも鮮烈な思い出だったりする。

 

物心ついて一番最初に相撲を見はじめたのは、まだ大鵬が現役だった頃だった。だが、もちろん番付も星取表もまだ分からない。はっきり意識して観戦しはじめたのは北の富士の一人横綱時代あたりからで、すぐに輪島と貴ノ花が上がってきて、この両者を中心に、まさしく「空前の相撲ブーム」となった。昭和50年春場所の、北の湖と貴ノ花の優勝決定戦はブームの頂点だったと思う。後年の若貴ブームが凄かったといっても、親父の人気には全く及ぶものではない。

その頃、僕は北の湖のファンだった。その時すでに第一人者と言われて敵役にされていた北の湖だが、この決定戦の段階でまだ21歳にすぎないのだから驚いてしまう。この人は幕内に入ってきたあたりで、横綱になるのは規定路線と誰もが信じて疑わなかった。こういう力士もちょっと珍しいのではないか。

 

学校から帰って夕方に相撲中継を見る。そして夜中には「大相撲ダイジェスト」でその日の取組を復習するのが、相撲ファンの日課だった。「大相撲ダイジェスト」はその頃、深夜にやっているちょっとエッチな番組の一コーナーとして放送されていたので、小中学生が見るのは少し抵抗があった。この番組、若貴ブームが去ってからは視聴率が降下したようで、いろいろ内容を変えて工夫しようとしていたが、全部裏目に出てしまったようだ。フォーマットが確立しているものを、あとからグダグダと変えるのは愚策であろう。NHKの相撲中継のよさは、何十年やっても一切変化しないという、恐怖のマンネリズム(?)にあるのだ。

このマンネリのよさは、一時期の日テレのプロレス中継にも感じた。残念なことに、ジャイアント馬場が日テレ・スポーツテーマを使用することをやめて独自テーマ曲を使い出したため、この貴重なマンネリ感覚は崩れ去ってしまったのだが……。

 

当時の力士では、若三杉改め二代目若乃花のことが気になっている。貴ノ花に次ぐ人気力士で、破竹の勢いで横綱になった若乃花だったが、故障と親方との確執のために若くして引退してしまった。次代のエースを失ったことにより、相撲界は千代の富士というスターを急造する方向に舵を切ったのである。回顧番組で最ももてはやされる一番が、昭和56年初場所の北の湖・千代の富士の優勝決定戦だが、僕にとっては黄金時代の終わりを告げる、最も嫌いな一番なのである。

 

 

strong>ブログ・メルマガアフィリエイトの王道教材

●1商品で942万円稼ぎ出す仕組み「Unlimited Affiliate NEO(アンリミテッドアフィリエイトネオ)」

ひきこもり ブログランキングへ