国内SFとジュヴナイル いじめに遭っていた頃の読書体験

前にもちょっと書いたけど、SFを読むのはひとまず封印して、これからは歴史関係とミステリに専念することにした。というわけで早川と創元の翻訳SFは順番に自炊して廃棄しているんだが、国内SFにはまた別の思いがあって、本をバラす気になれないのだなあ。主に秋元文庫と角川文庫に収録された、70年代前半の少年少女向けSFなんだが。

73、74年頃の文庫ブームに乗っかる形で、ジュヴナイル作品をどしどし文庫化していったのが、ほかならぬ秋元書房と角川書店なのである。旺文社や学研の学年誌に連載されていた作品が、その主な母体なわけで、文庫ブーム以前だと鶴書房の「SFベストセラーズ」が定番であった。これは小学校高学年から中学生くらいが対象年齢だろうか。僕にとってのSFの原点は、このシリーズの「時をかける少女」だった。少年ドラマシリーズで評判になった際、姉が買ってきたのである。そのとき、僕は幼稚園児だったのだが……。

小学校の時には秋元文庫のSFシリーズを買い集めて、さらに角川で出た「なぞの転校生」「ねらわれた学園」の面白さに強く引きつけられた。「明日への追跡」「夕ばえ作戦」を読んでからは断然、光瀬龍の信奉者となり、「百億の昼と千億の夜」に打ちのめされてちょっと頭がおかしくなったのが小6の時。これは大人向けの文庫なので、本屋のレジでなかなか売ってもらえなくて苦労したものだ。その間に「日本沈没」のブームがあり、新潮や文春、さらには後発の集英社まで文庫でSFを出すという、信じられない時代が到来したのである。

 

そういういい時代になったんだけど、僕の方は中学に入るといじめが本格化して、およそ考えられるかぎりの、ありとあらゆる嫌がらせを受けつづける日々となった。言うまでもないことだが、SFジュヴナイルは例外なく学校を舞台としており、登場人物のほとんどが中学生である。僕は中学校とか学校生活とかいった文字を見るだけでも吐き気をもよおすようになって、国内SFを読むことができなくなってしまった。それ以降、早川や創元の翻訳SF一辺倒ということになったのである。

したがって、僕の中では国内SFに関しては、当時のまま時計が完全に止まっている。SF界の重鎮は星新一と小松左京であり、山田正紀や横田順彌はいまだに新進の若手作家だと思い込んでいるのだ。それ以降の作家も作品も一切関知していない。

それから長いことジュヴナイルも忘れ去っていたんだが、ちょっと起きて歩けるようになった頃、数十年ぶりに早稲田の古本屋を見てまわることにした。軒先の百円コーナーを見ていると、懐かしい黄色い背表紙の秋元文庫が、想像以上にたくさん出ているではないか。そういえば、当の秋元書房がこの近くだったよなあ、と思いながら、子供の頃の読書体験が記憶の底からよみがえってきたという次第である。

 




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趣味の読書録 あるいはSF文庫でいっぱいの部屋

過去記事にも書いたように、幼稚園の頃からSFファンで滅多やたらに早川や創元の文庫を買いまくっていたら、部屋は数千冊の書物でパンク状態。

かねてよりどうしようかなーと思っていたところ、今世紀に入ってからのSFの流れといいますか、海外SFの動向なんかを見るにつけ、ちょっと嫌気がさしてきたのだな。SF界がどうこうというより、自分の感覚と合わなくなってきて、新作を読んでも少しも面白くない。結局、自分は昭和のSFファンであることを痛感した次第で、これを機にSF関係の文庫本は順番に自炊したのち廃棄することにした。

てなわけで、去年からスキャナに取り込んでPDF化して、ゴミの日に出すのを繰り返しているんだが、スキャナが安物なので一日一冊ペースがやっと。ようやく300冊くらい処分して、本棚半分くらいはスペースが開いてきた。でも歴史ものとかミステリーは相変わらずどしどし買い込んでいるので、本の総数は変わらないという始末で、われながら困ったものだ。それでも300冊がDVD一枚に収まってしまうのは驚きで、もうちょい高いスキャナを買えば作業効率も上がるだろう。

 

こうして文庫を大量に捨てるにつけ、思い出すのはSF小説を探して奔走した日々のことである。十年くらい身動きできない時期があって、ようやく起き上がれるようになると、吐き気やめまいを抱えながら地下鉄に乗って、神保町や高田馬場へ必死になって足を運んだものだ。

僕は翻訳SFの中でも40年代・50年代の、いわゆる黄金期の名作にいかれていて、サイバーパンクが流行りだした頃にも「なにそれ、おいしいの?」という態度でツッパッていた。要するに古いSF読みってことなんだが。

ちょうどその頃(85、86年頃)、ハインラインの未来史シリーズやジュヴナイル作品といった、長いこと幻の名作と言われていた作品群が早川と創元から一気に刊行されはじめたのである。僕は文字通り寝食を忘れて読みふけり、あまりの面白さに打ちのめされて、数年のあいだ、半ば放心状態という感じだった。やはりストーリー・テリングにおいては、ハインラインが古今随一の存在だと、今でも思っている。

 

学生時代、僕が新刊を買っていた渋谷の本屋も、古本を探してまわった東横線・目蒲線・大井町線沿線の古本屋も、今ではほとんどが消えてなくなっているので、茫然となってしまう。特に一番びっくりするのは、巨大な駅ビルが建ってしまった日吉の変わりようなのだが……。ジャック・フィニィの小説みたいに、ふらっと電車を降りたら三十年前の学生街に戻っていた、なんてことがないものかと思うのだ。

 




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SF小説に熱中していた頃の思い出

一年ほど前から自炊をやっている。

といっても食事を作っているのではなくて、ドキュメントスキャナを使って本をスキャンしてデジタル化しているのである。

とにかく子供の頃から本キチガイなので、家の中には無茶苦茶な数の本が転がっている。まずは手はじめに、小さい頃から熱中していたSFの文庫をデジタル化しようと思ったのだが、これが軽く千冊以上はあるのだ。ヘボいスキャナなので一日一冊ペースが限界であり、焼け石に水とはまさにこのことなのだが……。

 

一番最初に読んだSF小説は、筒井康隆の「時をかける少女」だった。幼稚園か小1のときだったと思う。まだ漢字はそれほど読めなかった気がするのだが、とにかく本を読むのが好きだったのだ。

ちょうどNHKの少年ドラマシリーズで「タイム・トラベラー」を放送していて、姉が原作本を買ってきたのである。鶴書房のSFベストセラーズ版。それから鶴書房のシリーズとか、黄色い背表紙の秋元文庫なんかの国内作家によるジュヴナイルを追いかけて読むようになった。小学校の頃はこういう調子だったので、図書室に置いてあるような子供向けの抄訳SFは全然読んでない。

角川文庫がブームになったのが小6くらいの時で、それから国内ジュヴナイルもどんどん角川から出るようになった。眉村卓の「なぞの転校生」「ねらわれた学園」はその代表作だが、僕は「天才はつくられる」という作品が特に好きである。それから光瀬龍の「夕ばえ作戦」「明日への追跡」も忘れられない名作だ。

当時は有名なSF作家がこぞってジュヴナイルを書いていた。これは子供が多くて学年誌が全盛だったからだろう。その中でも、眉村卓と光瀬龍は学校生活の描写にリアリティがあり、登場する少女がかわいらしく生き生きしているので好きだった。どうでもいい話だが、のちに僕は「夕ばえ作戦」の舞台になった町内に引っ越して、そこで十数年間をすごすことになったのである。

 

そういったSF小僧だった僕であるが、実態はまだ小学生のガキであり、他の子供たちとは趣味趣向が大きく異なっていたと言わざるをえない。本屋で文庫本を買おうとしたら、店のおやじが「子供がこんな本を読むわけがないだろう、ふざけるな」と言ってなかなか売ってくれないのが悩みであった。

さて、そうやってSFジュヴナイルに熱中していた僕であったが、成績抜群で顔も美しかったせいか、学校では一貫していじめに遭いつづけていたのである。中学生になるといじめがさらにエスカレートして、ほとんどこの世における絶対悪みたいな扱いを受けるようになった。そんなこんなで、たいてい学校が舞台となっている国内ジュヴナイルを読むのがいやになってしまったのだ。

僕は13歳くらいで国内SFと完全に縁を断ち切って、それ以後はもっぱら翻訳ものだけを読むようになった。だから、僕の中では当時新進だった山田正紀や横田純彌といった人たちが、いまだに「若手」として認識されているのだ。

 

 

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